いよのきょうだい心中

信州上田之住人
 太田 和親
2007523日随筆
2011年8月15日追記

 山内瞳さんの小説に「血族」というのがあるが、これが25年以上前の1980年にNHKでテレビドラマ化され、それを私はテレビで見ていた。その中で、主人公のおやじさんは、どら息子がまともに就職もせずアングラ芝居に夢中になっており、心配して一度そのアングラ芝居を東京の場末のビルの地下にそっと見に行く場面があった。息子が演出か出演したその芝居は、なんとも背徳的なにおいのする「いよのきょうだい心中」という演題であった。
 おやじさんは暗い客席からそっとこの芝居を観ている。舞台には江戸時代の装束の若い女が一人、ひざまずき嘆きの台詞をつぶやいている。内容は、兄と妹が相思相愛の仲になり、肉体関係を持つようになった。当然周囲からは強い非難が起り、絶対に別れなければいけないと言われている。そこでこの妹が一人で、ここで嘆いているのである。妹は別れる巧妙な方法を思いつき、兄にこう言おうと一人さらにつぶやく。「明日、虚無僧姿の男が兄さんのところに訪ねて来きます。この男は私に思いをかけている恋敵だから、兄さん、この男を刺し殺してください。」しかし、これは妹が考えついた別れの方法で、その虚無僧姿の中身は妹である。虚無僧は、筒状になったわらの帽子をかぶり顔が見えない姿なのだ。それを利用して明日は恋しい兄に自分を殺してもらい今生の別れをしてあの世で永遠に結ばれようと、一人嘆いているのである。
 こういう内容だったと記憶している。そしてこれは江戸時代にあった四国の伊予、今の愛媛県の実話を題材にしているらしかった。しかし私も四国の出身だが、こんな「伊予の兄妹心中」の話は今まで聞いたことがなかった。しかしそれから20年もたったあるとき、「日本書紀」だったか「古事記」だったかを読んでいたとき、私ははっとした。この「伊予の兄妹心中」の話は、古代に伊予に流罪となった皇子、軽皇子(かるのみこ)のことではないかと私は思ったのだった。「記紀」によると、軽皇子は実の妹の大郎女(おおのいらつめ)と相思相愛の肉体関係になり、その近親相姦の罪のため周囲から大きな非難を浴びて人心が離れ、皇位継承権を失って伊予に流された。そこで大郎女はその兄を追って伊予に渡り、そこで二人心中したという。この兄妹の背徳的な悲恋は多くの和歌とともに古代から語り継がれていることを、私は2000年頃初めて知った。
 「血族」の中に出てくる「いよのきょうだい心中」の題材は、江戸時代ではなく、もっと古い1600年近くも前の5世紀(453年)にあった「軽皇子と大郎女の事件」であり、江戸時代に時代設定を変えて脚色され、「伊予の兄妹心中」という芝居になっただろうと、私は考えている。


2011年8月15日追記
 長野県松本市在住の百瀬さまから、2009年7月12日付でご感想をいただき、その中で大変貴重なご指摘
を受けました。小松左京著「悪霊」1973年に、本随筆とまったく同じ意見が述べらているとのこと。早速、上田市立図書館で借りて読んだところ、確かに全く同じ考えが書かれていました。驚きました。世の中同じことを考える人間が必ずいるということですね。この小説の方は、古代史にのめりこんでいる「滝田」が私自身に思えてきて最後の方は怖かったです。私と似たような人間が描かれていますが、これは小松左京自身の鏡映だと思いました。2011年7月26日小松左京氏の訃報に接しました。ご冥福をお祈りいたします。百瀬さま貴重なご指摘ありがとうございました。



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