南の島に雪が降る

 

平成28年(2016年)126日随筆

信州上田之住人 和親

 

一昨日の124日、大寒波が押し寄せ、何と奄美大島では115年ぶりに雪が降り、またもっと南の沖縄本島では史上初めて雪が降ったとのこと。これらのニュースを見ていて、私はすぐ「おお、『南の島に雪が降る』だなあ。」とつぶやいた。

 実は55年も前の昭和36年(1961年)私がまだ小学校の低学年の頃に、3つ年上の兄と一緒に見に行った映画「南の島に雪が降る」を思い出したからだ。この映画は戦中ニューギニア島で、軍の中で芝居小屋を建てて、島の各地から役者の心得のある兵隊を選んで芝居をしたという実話をもとにした映画だった。選抜された人の中には渥美清さん演じる爆笑するようなキャラクターの人もいた。これは、激戦の地でせめて芝居で兵の心を少しでも慰めようという現地の司令官の配慮であった。

 55年も前の記憶で正確でないかも知れないが、加東大介さんが座長となり役者を集めている時、遠くの部隊から、フランキー堺さん演じる「戦場のピアニスト」が、たまたま現れ、ピアノがあるなら是非一度弾かせて欲しいと言ってきた。戦争で傷ついた手を握ったりさすったりして準備運動のあと、見事にピアノを弾いた。そこで加東大介さんが、それほどピアノが弾けるのだから、是非この一座に入ってくれと言って入座を勧誘した。しかしこの「戦場のピアニスト」は、◯◯部隊の生き残った仲間のところへ、ここで仕入れた食料を持って帰らないといけないのだと言った。「◯◯部隊!?あの全滅した部隊か?」「ええ、玉砕したことになっていますが、私を含めた数人が奇跡的に生き残ったのです。」とのことだった。今の若い人たちにはもうわからない心境なので説明するが、生き残ったのになぜ、原隊復帰や他の部隊に転入しないのかと疑問になるだろう。これには私の叔父高嶋忠雄の話が参考になると思う。叔父はミッドウェイ海戦で沈没した空母「飛龍」から奇跡的に船窓から脱出できて生き残った。叔父によると、玉砕したことになっているのに、生き残っていると、皆から敗残兵と言われ、どうして潔く死ななかったのかと、旧日本軍ではとがめられる。そこで、◯◯部隊の人達は、生き恥をさらさないため、生き残った数名で山中で共同生活をしていたということのようである。しかし、座長の加東大介さんは、◯◯部隊は東北出身者だろう、今度ここで雪が降る芝居をやるから、皆是非見に来いと言った。そして、フランキー堺さん演じる「戦場のピアニスト」は、仲間の待つ山中に帰り、皆にこの芝居の話をした。戦病死寸前の仲間が、ふるさとの雪を一目見て死にたいとかねがね言っていた。そこで、この傷病兵を仲間が背負ったり、川や海では皆が裸で泳ぎながらこの兵を引っ張って渡った。そして、3日がかりでようやくこの一座にたどり着いた。

 舞台の上ではフィナーレで、雪に見立てた紙吹雪が舞う。舞台の下で、仲間にささえられ、衰弱しきった傷病兵が横たわりながら「雪・・・」といって手を伸ばし、紙吹雪をとらえようとしながら息絶えた。故郷の東北を思い出し満足して死んだのだろう。私は、兄とともにこの映画を見ながら泣いたのを覚えている。私の年齢では、父やおじさん達の年齢の人達はみんな戦争に行って苦労しているので、人ごとと思えず泣いたのだった。

 55年も前に見た「南に島に雪が降る」という映画だったが、この冬、南の島の奄美大島や沖縄本島に雪が降ったというニュースを見て、私はしみじみとあの紙吹雪の場面を思い出したのだった。


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