68年前の今日
2013年8月17日随筆
2016年2月20日加筆
信州上田之住人和親
68年前の今日、昭和20年8月17日の朝、満鮮国境の町安東(現丹東)から、京城(ソウル)行きの列車に乗った。二、三日すると八路軍(中国共産党軍)が来て、この町安東の施政権が満州国(日本)から、共産党軍に移るという情報を得たからである。これがおそらくソウル行の最後の列車であった。その3日後の8月20日に、朝鮮半島はソ連により38度線が封鎖された。8月17日のお昼頃ソウルに着いた。それから、朝鮮総督府高官であった叔父の家に家族4人でしばらく厄介になっていた。8月30日、叔父から「9月1日から、施政権が日本からアメリカ軍に移る。明日8月31日の関釜連絡船が日本施政権下の最後の運航となる。」との情報を得た。叔父は残務整理のためアメリカ軍との交渉があるので、家族ともどもソウルに残るとのことであった。8月31日ソウルの叔父の家を出て、釜山までの列車に乗った。着くと釜山の駅と港は、日本の憲兵隊がコントロールしていた。そして、最後の関釜連絡船興安丸に乗り、翌日の9月1日山口県、仙崎港に帰ってきた。
これは、私の父母と兄2人の実体験である。父母はとも28歳、幼い2人の兄は当時5歳と2歳であった。
8月15日を、韓国では光復節として日本からの植民地支配から解放された日として祝賀しているが、厳密に言うと韓国は歴史認識を誤っているのではないかと思う。上の父母の例からみて、日本が8月15日に降伏したからといって、直ちに、日本が全ての植民地を失ったわけではないことがわる。少なくとも8月15日から8月31日までは、朝鮮半島は日本の植民地のままであり、日本の施政権が存在していた。したがって、国際法上は9月2日の戦艦ミズリー号上での降伏文書署名までは、朝鮮半島は日本の植民地のままであったはずだと、毎年この時期になると私は思うのである。
(上記質問に対する回答に対する返礼)
(1)ご回答ありがとうございました。zxmn12345aさん、おかげさまで、韓国独立は1948年8月13日ということがわかりました。その後在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁の記事を見つけまして、「朝鮮半島の統治権移譲の調印は1945年9月7日にアメリカ軍と日本軍との間で行われた。従って8月15日から9月7日までは日本が朝鮮の統治権を持っていた。」ということを知りました。確かに私の両親は、8月31日に日本の国家権力の象徴である日本軍の憲兵が護衛する釜山の港から、興安丸に乗って帰ってきたのはこのような事情によることがわかりました。
(2)お答えありがとうございました。まとめ見ると、1945年8/15日本敗戦から9/1までは日本の支配のまま、9/2の降伏文書署名から1948年8/12は連合国(実質アメリカ)軍政下ということになると、アメリカのマッカーサーは、ソ連勢力下の北朝鮮を除く南朝鮮を日本と一体とみていたことになりますね。ということはGHQは日本と南朝鮮を同時に軍政下に置いており、韓国の独立はその間ないということになりますね。