若すぎる写真
信州上田之住人
太田 和親
2006年5月19日随筆
「その頭どうしたの?」
私は額の上の髪の生え際に巨大なばんそうこうを貼っていた。
「いや痛かったよ。松本に講義に行って、車を降りてトランクの荷物をとろうとしたとき、開ききっていないトランクのはしに頭を思いきりぶつけで、5センチくらい額を切ったんだ。目から火が出たよ。」
2006年5月17日、丁度私の誕生日だった。その日に、松本で講義が連続で3限もあり、朝9時丁度に上田から信州大学繊維学部の運転手付き公用車で、信州大松本キャンパスに向かった。運転手は青木さん。同乗者は、その日に松本で3限講義のある私と、1限だけ講義のある本吉谷先生とであった。本吉谷先生は講義は1限の90分だけなので午前中で終わり、午後電車に乗って帰る予定だった。私の方は朝1限、昼から2限ぶっ続けの講義であった。それで、帰りは青木さんに午後4時10分まで待ってもらって、この公用車に乗って帰る予定であった。こういう公用車の予定は繊維学部の事務室から、アルバイトの運転手の青木さんに事前に知らされている。ところが、松本キャンパスに午前10時頃着いて、3人とも車から降り、私は、車のトランクに入れてもらった荷物を取りだそうと車の後ろにまわり、トランクをはね上げた。ちょうどその時、運転手の青木さんが運転席の天井にひじをかけながら私に向かって、「太田先生、迎えに1時に来たらいいよね?」と聞いたので、「1時は、本吉谷先生で、私は4時10分まで講義があるので、4時20分くらいに迎えに来て。」「えっ?太田先生、1時だよね!」というので、青木さんの方に気を取られたままトランクの荷物を取ろうとしたら、ガンと額をトランクの端にぶつけてしまった。目から火が出た。くらっとして後ずさりして額に手を当てたら、横一直線に5センチくらい額が切れて血が出てきている。本吉谷先生が、私の額を見て、驚き「わっ、ひどいわ。保健室に行って手当てしないと。」と言った。
保健室へ行って看護士さんに治療してもらった。糸で縫うには時間が無いので、縫うかわりになるちっちゃなテープを何枚か傷口に貼って傷を合わせてくれた。その上に傷口を保護するために巨大な白いばんそうこうを貼ってくれた。ちょっとカッコ悪い。
「応急処置をしておきますので、講義が終わったら、病院に行ったほうがいいかもしれません。これだと傷跡が残るかもしれませんので、整形外科に行ったほうがいいと思います。」
「今日、これから3限連続で講義が4時10分まであるので、それが終わったら、信大病院に行きます。」
「信大病院は、受付は残念ながら午前中だけです。」
「う〜ん。これで傷がどうしてもうずくようだったら、何とかしますけど、うずかなかったら、明日上田で病院に行きます。それに、もう売りものじゃないから傷くらい残ってもいいですよ。」
そう言ったら看護士さん達が笑った。私は、今日誕生日でちょうど54歳になった。いまさら、結婚するわけじゃあないので、少しくらい額に傷があったってどうってことない。付いてきてくれた本吉谷先生が、「講義、俺が替わってやろうか?」と言って心配してくれてうれしかったが、私でないと出来ない講義内容なので、巨大ばんそうこうのまま講義を敢行することにした。
保健室から、講師控室へ移動したが、傷はそれほど痛まなかった。傷口は広いが深くないようだった。講師控室で講義の準備を少ししてから、巨大なばんそうこうを貼ったまま、午前10時30分ごろ講義に出かけた。自分では見えないが、学生が一斉に私の額を見ていたので、自分でもおかしかった。
無事、午後4時10分まで講義を済ませて、青木さんの待つ公用車に向かった。図書館の前の道端に青木さんは車に乗ったまま私を待っていた。乗り込むと、青木さんが、
「太田先生、すいませんでしたね。大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。保健室で傷の応急手当てをしてもらいました。上田に帰ったら、傷が残らないように整形外科に行ったほうがいいって、看護婦さんに言われましたが、もう売りものじゃないから傷くらい残ってもいいですって、言ったら、皆笑っていました。もう傷がうずかないから、上田に帰っても病院に行きません。様子を見ます。」
青木さんと、帰り道、丸子にある木曽義仲の遺跡の話をしながら上田まで帰ってきた。上田に着いたのは午後5時30分くらいだった。いやあ、大変な1日であった。
上田キャンパスの研究室に帰った。研究室の4年生や院生に、その頭どうしたんですかと、私の額の巨大なばんそうこうを見て、聞かれた。皆に話したら、また笑われた。そのあと、留守の間にたまっていた電子メールなどを一応見て、午後7時頃自宅に帰った。誕生日なので早めに帰ったのだ。
家に帰ったら、家内と次女が食卓にいて、私の額を見て言った。
「その頭どうしたの?」
「いや痛かったよ。松本に講義に行って、車を降りてトランクの荷物をとろうとしたとき、開ききっていないトランクのはしに頭を思いきりぶつけで、5センチくらい額を切ったんだ。目から火が出たよ。」
家内は、冷蔵庫からワインをとりだしてきて、
「今日、あなたの誕生日だからこれ買ってきたんだけど、あなた脳内出血で死んだらいけないから、飲んじゃいけないね。しまっておこう。」
と言って、リボンのついたよく冷やしたワインを、また冷蔵庫に持っていってしまった。
54歳の誕生日なのに、ワインが飲めなくて私はとても残念だった。
次の日、昨日の夕方電子メールをチェックしていたら、研究会に私の自己紹介文の提出がまだない、もう締切日を過ぎているので至急出して欲しいというのが、あった。それも顔写真付きで。昨日は時間がなかったので、今日午前中に原稿を書いて写真をつけて、電子メールで返事を出すことにしていた。
「しかし、困ったなあ。最近の写真ないなあ。」
「こんな、巨大なばんそうこうを貼った顔写真をデジカメで撮って出したら、皆驚くよな。」
そこで、パソコンの中のファイルを探したら、スーツを着てちゃんとした写真があった。しかし、ちょっと若すぎるのじゃないかと思う。10年も前の写真だから、まだ白髪も混じらず髪も黒々している。
「しかし、この傷すぐには直らないなあ。仕方ない、これ貼付して送ろう。」
ちょっと、若すぎるが、自己紹介文にこの写真を貼って、研究会の秘書の人に、締切を過ぎまして誠に申し訳ありませんでしたと丁寧に謝罪して、電子メールに添付書類の形式にして、送った。もちろん、写真が若すぎることなど説明が面倒だから一言もいってない。