ノーベル賞を取りはぐった高校の先輩、玉尾皓平先生

 

201212日随筆

信州上田之住人太田和親記之

 

凹凸くん、久しぶりにお電話いただきありがとうございました。本年もどうぞよろしく。

 

さて、一昨年2010年の秋に、北大の鈴木章先生とアメリカ在住の根岸英一先生が、クロスカップリング反応の発見でノーベル化学賞を取られた時、私はすぐにどうして観一出身の玉尾皓平先生も、一緒にノーベル賞が授与されなかったのか不思議でたまりませんでした。そのことを、なかよし倶楽部の皆さんに知ってもらいたいと投稿しようしようと思いながら、忙しさに紛れてとうとう今になってしまいました。

 

玉尾先生は、香川県観音寺市古川町のご出身で、お父さんは玉尾医院のお医者さんでした。玉尾皓平先生は一の谷小卒、三豊中学卒、観音寺第一高校昭和36年(1961)卒、京都大学卒、京大化研教授、京大停年退職後、理化学研究所基幹研究所(埼玉県和光市)の所長をされて現在に至っています。

 

私は40年ほど前から、玉尾先生が京大で先生をされていたのを、私の父親や母親が一の谷村(一の谷小学校区)の出身だったので、よく聞かされていました。また玉尾先生の実家の隣が私の親父の方の親戚筋だったので、よく知っていました。玉尾先生は私の中学、高校の先輩にあたります。そして、私が化学の研究者となって、30年ほど前に液晶化合物の合成で苦しんでいるとき、玉尾先生が発見されたクロスカップリング反応の方法を利用したところ、ようやく合成に成功しました。このクロスカップリング反応を熊田−玉尾反応(1972)といいます。クロスカップリング反応は、鈴木先生や根岸先生よりも先に、玉尾先生が先駆的な研究をされていたのは業界では周知の事実です。したがって、2010年のノーベル化学賞がクロスカップリング反応で授与されるのなら、玉尾先生も授与されるべきじゃないのかと、私はすぐ思ったわけです。ただ、鈴木カップリン反応の方が安定なホウ素化合物を使う点で、空気中などで不安定なグリニャール試薬を使う熊田−玉尾反応より優れているといえます。そのため鈴木カップリング反応は汎用性が高いといえます。

 

しかしながらノーベル賞は決して公平ではないと思います。私は個人的には、玉尾皓平先生がノーベル賞と取りはぐったのは、欧米とのコネクションが足りなかったからかなと思っています。鈴木先生も根岸先生も、同じアメリカのブラウン先生のところに留学し、ノーベル賞受賞者のブラウン先生が今度は君たちにノーベル賞を取らせると言っていたそうです。彼らには強いアメリカンコネクションがあったということだと思います。鈴木先生も根岸先生も、立派なお仕事をされているので、受賞そのものを批判しているわけではありませんので、誤解なく。ただ、同じ中学高校の先輩の玉尾先生も、大変立派なノーベル賞級の仕事をされているということを皆さんに知ってもらいたいと思っているわけです。

 

末筆乍ら、同級生の皆様、今年が皆様にとって健康で幸多き年となることを祈念しております。


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