令和元年(2019年)7月13日
信州上田之住人 太田和親
昭和44年(1969年)7月21(月)
今日の朝4時50分ごろ目覚ましがなった。いつもの俺だったら、そのまま寝るだろう。しかし、今日は飛んで起きて、TVをかけた。やっていた。Apollo 11だ。映像は出ていなかったが、レーダーのように位置を示すアポロの絵と、LM(着陸船)の軌道の点線が出ていた。まだ、時間があったので親父の布団の中に潜り込んでTVの声―アポロとヒューストンの声を同時通訳している西山千氏の声を聞きながら、着陸の時を待っていた。5時10分ごろ降下開始というヒューストンからの指令を聞いたので、親父の蚊帳の中から跳ね起きて、TVにかじりついた。LMの軌道からだんだんと降下予定の軌道へ移っていった。誰も起きていなかったのでお袋を呼びに、階段の下のところから叫んだ。そして、お袋といっしょに見ていると、あと5分ぐらいになった時、この歴史的瞬間を残しておこうと(オープンリールの録音)テープに取り始めた。なかなかテープがつかずに3分くらい前にやっとついた(セットできた)。しかし、どこか間違っていると思った。でももうTVを見ていなければ・・・。ついに、ついに着いた。人類は他の天体に降り立ったのだ。TVの解説者も興奮して、印象的なことを言った。「月に、人間がいるんですね。」「いるんですねえ。」日本時間1969年7月21日午前5時18分(公式では17分)であった。
7時50分頃起きたら、アポロのことを言っていた、TVが。今日からは課外(夏休みの補習授業)があるので、仕方なく学校へ行った。月面第1歩は9時半ぐらいからとTVが言っていたので、見られなくて大変残念だ。1時間目が終わって、もう2時間目は(課外授業を)受けるつもりがなかった。高城といっしょに、宿直室へ行って2人でTVをかけたが壊れているらしく映らなかった。(生物の先生の)清重はんが入ってきたが、課外をサボっているなとは言ったが、怒られなかった。誰だって月面第1歩を見たいからだ。声だけ出るTVを見ながら1時間ぐらいいた。そしたら、(教頭の)王尾さんが入ってきた。どうも2時間目と3時間目の間にみんなにTVを見せてあげるつもりらしかった。しかし、TVが壊れているので電気屋の人を呼んで小型のTVをつけて帰った。そのうち2限が終わって10時40分、月面に降りる予定なので、その校内放送があった。そしたら、大勢の生徒が階段を走り下りる音がして、(1階の)TVの前に集まった。TVは校長室のを出していた。しかし、なかなか第1歩というのが出てこなく、3限が始まったので、先生にTVを消されてしまった。校長室のTVを無断でつけたが、見つかって数分で消されてしまった。そこで、高城と(学校の正門前の)マキヤ食堂に行って見ることにした。行ったら同志が沢山いた。座敷に上がって見た。石川(公一)、後藤(二郎)、浜田(恵造)が来ていた。待ち遠しかった。午前11時地40分ハッチが開いた。しかしアームストロング船長はなかなか出てこない。56分30秒(公式では20秒)月面におりた。宇宙塵が炭の粉のように月面を覆い、少しめり込むそうだ。感激的一瞬であった。うどんを食べていたやつも、みんなTVの方に寄って来た。そこで12時30分くらいまで見て、午後1時までに家へ帰った。(自転車を)ものすごく飛ばした。道には人が、昼間だというのに、非常に少なかった。みんなTVの前に釘付けにされているのだ。家で(さらに)1時間くらい見た。今日は朝から晩までアポロづくめだった。
明日は、真面目に課外を受けなければいけない。
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高校生の時の日記ですので、友人などを呼び捨てなどにしてありますが、皆様ご容赦ください。