奄美のお遍路さんと大村先生のノーベル賞
平成27年(2015年)10月10日随筆
信州上田之住人 太田和親
今年のノーベル医学生理学賞を、北里大学の大村智特別栄誉教授が受賞されることになり、思い出したことがあります。とても古い話で、私が4歳か5歳の頃ですから60年近くも前の、昭和31年(1956年)か32年(1957年)の頃のお話です。
私の生家は、香川県三豊郡山本町財田西の金毘羅街道沿いにありました。観音寺市からから金刀比羅神宮に通じる街道で、当時は舗装もされず砂利道で自動車もほとんど走らず、まだ牛車が工事用の砂を運んでいるような状態でした。その街道を小さな私は毎日窓から眺めながら育ちました。まだ、物資が不足していた時代でしたので配給でもらった軍人用の外套を着て歩いている男の人や、時々、鼻の長いボンネット型の琴参バスが伊予三島から観音寺経由で琴平まで通っているのが、窓から見えました。この金刀比羅街道は、四国八十八ヵ所を回るお遍路さんが歩く道でもありました。59年ほど前の暑い夏のことです。奇妙な姿の35歳くらいの叔父さんが私の家の前で立ち止まり、水を一杯飲ませてくださいと、母に言ったのです。その叔父さんは、当時は30歳を越えれば皆叔父さんと言われていましたが、その叔父さんは、山下清画伯のように、丸坊主で白いランニングシャツに、鼠色の半ズボンをはいて、手には、お遍路杖を持って立っていました。しかしその足は、膝から下が、まるで象の足のように腫れた人でした。四国の人は、お接待といって、お遍路さんには、食べ物や飲み物を提供するのは当たり前のことでしたので、母は、手押しポンプで汲んだ冷たい井戸水を、その叔父さんに手渡し、少し世間話をしていました。とうとう母も気になったらしく、その足はどうしたのですかと聞きました。
その叔父さんが言うには、「私は奄美大島から、四国88ヶ所を巡りに来ました。この足は奄美の風土病で、象足病といいます。私は、奄美大島が2,3年前までアメリカの施政権下にあり、なかなか四国に来られなかったのですが、本土復帰し、ようやくお四国を回ることができるようになったので、こうして、この象足病が治るようにお祈りしながら、歩いて回っています。おかげで、かなり良くなってきました。」とのことでした。四国では全く見たこともない病気でしたので、私は、その叔父さんの姿と象足病ということを、いまだに覚えていたのです。
今週の10月6日、北里大学の大村智先生がノーベル賞を授与されることが発表され、その功績を、私もインターネットや新聞で読みました。大村先生は、土の中にいる微生物が作る化合物から多くの特効薬を発見され、10億人の人々を救ったとのことです。その一つがイベルメクチンという薬で、南方の風土病、象皮病(=象足病)の特効薬として活躍し、日本では奄美大島などの地区から、象足病が1978年に撲滅されたことを、私は初めて知りました。
あの奄美のお遍路さんの象足病はもう根絶されたことを知り、私は一人感動しました。
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