BS1スペシャル「緊急被ばく医療の闘い~誰が命を救うのか~」

初回放送:2019310日(日) 午後1000(110)
再放送:2019412日(金) 午前055(110)

平成31年(2019年)412
信州上田之住人 太田和親



8年前の福島第一原発事故の際、まかり間違えばチェルノブイリの何万倍もの放射性物質が拡散し、日本の半分が住めなくなる危機を防いだ真実が語られています。これは真に日本を救った医師たちのドキュメンタリーです。私は昨日の深夜の再放送を初めて見て、深い感動と尊敬の念を抱きました。このBS1スペシャルを、多くの人にも是非見てもらいたいと思います。

 広島大学医学部から放射線医療の専門の医師二人、長崎大学医学部から放射線医療の専門の医師一人、杏林大学医学部から高度救命救急センターから放射線治療経験のある医師一人、福島県立医大で福島原発事故による患者を受け入れた現場の医師一人、これら5人の医師たちのおかげで、日本が何とか最悪の状態にならずに済んだことを初めて知りました。

特に印象に残ったのは、杏林大学の山口芳裕先生です。山口先生は、1999年に東海村のJCOで起きた放射性物質による事故で大量被ばくした2名の作業員を、実際に治療した経験のある医師です。先生は語ります。

「あのとき治療にあたった自分は、大量被ばくした2人が『溶けて朽ちていく』のを、目の当たりにしました。福島第一原発に一緒に行く東京消防庁ハイパーレスキュー隊の方々には、あのようなことにならないように、大量被ばくをしないように、一人一人が絶対に100ミリシーベルト以下の被ばく量になるように計画準備しました。ところが政府から一時的に250ミリシーベルトに引き上げるようにとの要請が来ましたが、専門家として強く拒否しました。」

「しかし、それでも爆発したその福島第一原発に、向かうときは、私は生きて帰れないと悟り、死を覚悟しました。そのため、東京から福島に向かう車の中から、当時大学生であった息子に『これから福島第一原発に向かいます。(生きて帰れないだろうから)お前は、母上と妹のあとを頼む。』とメールをしました。」

そしたら、息子さんから、

「父上、あとはご心配なく、ご存分の働きを!」

と返事が来たというのです。

ああ、何と高潔な使命感に燃えた親子だろう、父親も偉い、息子も立派だと、感動のあまり涙がにじみました。

この山口先生の指導のおかげと、東京消防庁ハイパーレスキュー隊の方々の決死の放水作業のおかげで、チェルノブイリの何万倍もの放射性物質が拡散し、日本の半分が住めなくなる危機を防いだのです。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊の隊長も、爆発した福島原発に向かうにあたり、死を覚悟して奥さんにメールで、「プロジェクトチームが発足し、これから福島原発に向かいます。」と送ったところ、奥さんから、「日本の救世主になってください。」との返事が来たということです。奥さんも偉い!

みんな、戦場に向かう誇り高い武士のようでした。これによりあの時最悪の事態から日本が救われたのです。今こそすべての日本人が、知っておかなければならないことです。

このBS1スペシャルを、是非多くの人に見てもらい、そして長く語り継いでいってもらいたいと思います。







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