親になるための教訓
2001年8月29日加筆修正
2002年4月28日加筆修正
2004年11月6日加筆修正
2019年2月13日修正
信州上田之住人和親
第一話 両親に虐待され殺された勢田恭一君
今年(2001年)8月、西宮で6歳になる小学校1年生の男の子勢田恭一君が、24歳の母親と24歳の義理の父親に殺され、ゴミ袋に入れられて運河で浮かんでいるのを発見された事件があった。脳挫傷が直接の死因であるが、それまでも虐待があったので、1月に児童相談所がこの子を保護して、両親から引き離し施設で預かっていた。しかし、夏休みに実家に外泊した折り、またも虐待にあい死んだようだ。母親が24歳で、6歳の子供と言うことは17,8歳で妊娠して産んだ子供ということになる。少なくともまともな結婚で子供を生んだとは思えない。また、24歳の義理の(!)父親というのも、まともな家庭とは思えない。この殺された子の実の父親はどうしているのか。家族構成を聞いただけでも、この子は、義理の父親にとってじゃまになる存在であったらしいことが容易にうかがえる。この義理の父親は、実の母親の折檻がエスカレートした時、積極的に止めに入ってない。たとえ父親が義理であったとしても、人間的に成熟していれば、この子を死なすこともなく運河に捨てられて浮かぶこともなかったであろう。したがって、義理の父親は自分はやっていないと否認しているというが、母親と同罪であろう。恭一君が不憫でならない。実の父親と別れ、義理の父と実の母親に虐待されてわずか六歳で殺されてしまった。なんのために生まれてきたのだろうと、あの世で三人の親を恨んでいるだろう。成仏するように願うばかりである。
最近、家庭内で幼児虐待ということを盛んに聞くようになった。自分の子供や連れ子を虐待して、ひどい場合は上記の例のように殺してしまうことがある。また、生きていても虐待を経験した子供は、心に大きな傷を一生引きずっていることも多い。こんなあってはならないことが、最近特に多くなったように感じられる。しかし、私には、昔から、実は少なからずあったのだが、近所の方々が協力して、止めに入ったり年寄りが未熟な両親に意見を言って諭したりと、対処してきたことが、今では、自治会や近所づきあいが希薄となりその上ほとんどの家庭が核家族となってしまったので、行政が直接関わるようになったのだろう。そのため、表に出てくる数字が多くなったようになったためと思われる。
さて、虐待が、子供の心に大きな傷を残す場合や、それが、後々、自殺に発展する例を示したい。
第二話 多重人格その一
昨年テレビを見ていたら、多重人格障害の22,3歳の若い娘が、顔をモザイクで隠して出ていた。この人の中に25もの人格が存在し、そのうちのある人格はとても危険で、自傷行為を働くものがあるという。そのため、自殺のおそれがあるという。その娘は、妹と母親の3人暮らしである。母親に連れられて、週に一度治療のため東京理科大の心理療法士の先生の所へ通って、危険な人格を一つ一つ消していく努力をしているのだそうだ。この心理療法士の先生によると、多重人格障害の95%以上は、家庭内の虐待や性的虐待から生じているそうである。この娘の母親は離婚したこの娘の父親を、傷害の罪で告訴しているそうだ。この娘は小さい頃から、父親に虐待を受けその恐怖から多重人格障害になった。父親に長年長期にわたり殴られたり噛まれたりしたそうだ。訴えられている父親は、噛んだのは愛情表現だったなどと反論しているという。しかし、この若い娘は、父親の虐待の大きな傷のため、人生をめちゃめちゃにされているように思える。
第三話 多重人格その二
もう一つの例は、ニューヨークの40歳くらいの女性である。この女性も多重人格障害で、今無職である。就職しても続かないのだ。この女性には、同じ年齢くらいの小学校の女の先生が、一緒に暮らしている。この先生は、同じアパートに住むパートナーと紹介されていた。このパートナーは彼女の生活を経済的にも精神的のも支えている。アメリカにはとても奇特な人がいるものである。この多重人格障害の女性は、小さい頃、母親から虐待を受け続けた。小さい頃は、自分が悪いからだと思っていたそうだ。しかし、熱湯をかけられたり、縛られて棒でたたかれたり、ビニールの袋を首にかぶせられ窒息死寸前にされたりと、およそ実の子とは思えないような仕打ちをされた。母親はヒステリーで自分の娘にそのストレスを、家庭内で陰湿にぶつけていたのである。彼女が心理療法士から週に一度集団セラピーを受ける様子が、テレビに出ていた。この女性は、その中で自分が喋る順番になって、喋っている途中で、声が変わり別の人格が現れたりするのが映し出されていた。くるくると人格が変わるのである。知らない人が見たら、びっくりしてしまう。この集団セラピーをおこなっている心理療法士は、彼女が描いた絵を見せながらこう解説していた。この絵の中に、彼女が縛られ、たたかれ血を流して横たわっている傍らに、もう一人別の人が立っているのが描かれています。これは、たたかれ血を流している自分は、別人だと思うことで救われようとしているのです。このように思うことで、人格が分裂していくのです。この心理療法士も、多重人格の発生は、95%以上家庭内の虐待や性的虐待から生じていると、言っていた。この女性のパートナーは、彼女が夜中に人格が変わり、横柄な医者が出てきて、この女を殺せと言っているとわめきだし、自分を傷つけようとしたので、必死で止めて事なきを得たと言うことを話していた。私が、いないと彼女は死んでしまいますと悲しそうに言っていた。しかし、このパートナーはいかにも奇特な人である。
この多重人格障害者の女性は、今も故郷でいる母親と関係を改善したいと時々電話をするが、どうしても過去の母親の虐待が心から許せず、悶々としていた。四十歳になるまで一度も結婚をしたことはなく、故郷を遠くはなれたニューヨークに女性パートナーと住んでいる。この人にとって結婚とは何なのか、家庭とは何なのかということが疑問になり解決できないのであろう。母親の虐待の大きな傷のため、人生を棒に振っているように思える。
第四話 虐待のトラウマからの自殺
京都の大学に入学したとき、○野君という神戸出身のがっちりとした大男がいた。小さい頃から柔道をやっており、一八〇センチ以上の上背があり、たたき殺しても死なないような男であった。一度、神戸の実家から車まで京都に通学する途中、高速道路から土手下に転落し車は大破したが、○野君はかすり傷だけで生還した。○野君は不死身だとみんなが言っていた。だから彼が自殺するなんて信じられなかった。
○野君は三人兄弟で、神戸で古くから燃料関係の商売をしている家の生まれであった。一番上が、兄さんで次が姉さん、一番下が○野君であった。しかし、○野君は一年生の時は、家から通っていたのだが、二年生からは、私と同じように京都に下宿した。彼とは、一年生の時からの麻雀仲間だった。彼は、なぜ下宿したかったかというと、一番上の兄さんは超一流大学の工学部に行っていて、父親のお気に入りであるが、その下の姉や、○野君はいつも、出来が悪いと、食事のたびに言われていた。毎日の夕食が苦痛で仕方なかったという。それで、姉さんは、この親父を嫌って家出をし、妊娠し子供をおろしてしまった。○野君は、父親の言葉にすっかり自信をなくしていた。しかし、姉さんの事件があってから、自分も家を出ないといけないと思い、京都に下宿して家を出た。私の下宿に来いと言ったのだが、俺は町中がいいといって、下宿街ではないところに下宿した。まもなく、早朝の5時半ころ、私の下宿に来て何か食い物はないかという。昨夜は腹が減って寝られなかった。住宅街なので食堂屋がなくて、不便で仕方がないとこぼした。体に似合わずぼんぼんである彼を、その時笑ってしまった。私は大学を卒業してから、大学院に進んだのだが、○野君は、大学で学んだ専門とは全く関係ないスーパーの○○○に就職した。一年後彼が、自殺したと友人から知らせが入った。どうも○○○で仕事がうまくいかず、首をつって死んだそうだ。私は、激しいショックを受けた。あんなにたたき殺しても死なないような男が、仕事でちょっと躓いただけで、首をつって自殺するなんてと思った。父親が、いつも○野君を出来損ない扱いしてきたので、仕事に失敗したとき、どこからも救われない気持ちになったのだろう。私には、父親の言葉による虐待のせいで、心に大きな傷をうけ、自信を失ったはての自殺のように思えた。この父親は○野君を言葉で殺したのである。
第五話 親になるための教訓
親になるには子供を作るだけでは、親になれない。親になるという心構えがないと親として振る舞えないのだ。10代の出産や望まない妊娠では、産まれてきた多くの子供が、虐待を受けている。また、特に問題なのは、虐待を受けた家庭に育った子供が親になったとき、またその子供を虐待してしまうことである。フランスの心理学者が言うところの「世代間の虐待の連鎖」が起こる。日本では、「まともな家庭でないと、まともな子供に育たない。おのれ一代の悪行は七代たたる。」と、昔から言われることに相当する。従って、子供を持つには、中国の古いことわざ「修身斉家治国平天下」をかみしめて、十分心するべきである。身を修めれば、家が斉(おさ)まり、家が斉まれば、国が治まる。そして天下が平和になる、という意味である。従って、まず、最初に、我が身を修めることが大切だということであろう。