無学文盲の苦しみ

20121215日 随筆
信州上田之住人和親

ビートたけしさんの長兄北野重一さんが最近、亡くなったそうです。ビートたけしさんの一家をモデルにした1986年のNHKドラマ「たけし君ハイ!」に、このお兄さんのエピソードが描かれていたことを思い出しました。

このドラマでは、たけし君の明治生まれのお父さんは、ペンキ屋さんで無学文盲でした。字が読めないことで、請け負った病院の塗装工事に失敗した話には胸が詰まりました。そのお父さんは、ある日、息子の重一さんが下宿している部屋を訪ねて行きました。一流大学で勉強している息子のドイツ語の原書の本を取り上げ、ちゃんと勉強いしているならこれをおれの前で読んでみろと言って、 窓の敷居に腰掛けてじっと聞いている場面を思い出します。ドイツ語などちんぷんかんぷんなお父さんですが、息子の重一さんがドイツ語を流暢に読む姿に満足そうでした。きっと、お父さんはこの息子の重一さんを誇りに思っていたのでしょう。このドラマのような文盲の苦しみを描いた作品は今では皆無です。
 もう今の若い人には文盲の日本人を見たことはないでしょう。 私の年齢(60歳)では、子供のころに3人ほど実際に会ったことがあります。 この人たちは小さいころ家が貧しくて尋常小学校に行かせてもらえなかった老人ばかりでした。尋常小学校というのも今の人には聞いたことがないと思いますので、簡単に説明します。尋常小学校は、明治40年以前は4年間、それ以後は6年間です。戦前は、この尋常小学校のみが義務教育でした。したがって、家庭が極貧で子供も働き手とみている家では、義務教育にも関わらず 子供を尋常小学校にやりませんでした。特に女の子に教育は必要ないという考えが根強く私の子供のころおばあさんは字があまり読めないという人がいっぱいいました。完全に文盲の人は少なかったですが、3人ほど知っています。
 ビートたけしさんや私の年代では、そのような明治生まれの人たちが、子供のころまだたくさんいたのです。
 末筆ながら、ビートたけしさんの長兄重一さんのご冥福をお祈りします。



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