さぬき昔話4:若宮さんの祟り

 

信州上田之住人太田和親

平成281120日随筆

 

明治の昔、讃岐の国の辻村東に、若宮さんと呼ばれる小さな祠があった。田んぼの真ん中にその所だけ、小高い丘になっていてその上に小さな祠があった。田んぼの邪魔になるのだが、祟りを恐れて、つぶさずに大昔から昭和の初めころまでその小高い丘があった。言い伝えによると、奈良時代か平安時代のころ、非常に美しい娘がこの地に住んでいて、それを伝え聞いた讃岐の国司が、この娘を采女(うねめ)として都へ送ったそうだ。その時代には、きらきらなるむすめは朝廷に差し出すようにとの法律があったからだ。その采女になった娘は、何か落ち度があったのか都で切られて死んだ。その采女の墓としてこの小高い丘に祠が作られ、約1000年もの間、若宮さんとして祭られていたとのことだ。

事件は、この若宮さんで起こった。明治の中頃、この祠のすぐ近くに住む農家では、長男に嫁をもらったが、長男が1年もせずに亡くなってしまった。子供もまだだった。そこで、両親はこの嫁とまだ若い弟を結婚させて後継ぎとした。兄嫁と結婚した弟は、結婚するにはまだ少し若かったので、隣近所の男友達からはからかわれたり、うらやましがられたりしていた。嫁はすぐに妊娠したので、友達はこの弟をますます盛んに冷やかした。弟は、照れてしまい、何気なく、あの腹の子は俺の子ではないと友達にうそを言った。それを、まわりまわって聞き及んだ妻は、悲憤慷慨して、この子は確かにお前の子なのに、お前の子ではないというのなら、腹を切ってこの子をおろすと言って、この小高い丘の上で、自らかまで腹を切って子供を取り出した。近所の人たちは大変心配してみんなで介護したが甲斐なく、1週間後とうとうその妻も死んでしまった。隣近所では、「若宮さん」の祟りだと恐れた。

昭和に入って、この田んぼの真ん中にある小高い丘は、農業の邪魔になるので、ついに平地にされ今はない。その地に、戦後、商家が立ったが、どうしたことかその家の子供たちが次々と病気で死んだり、交通事故にあうので、近所の人が若宮さんの祟りが続いているのではないかと心配した。まったく若宮さんのことなど知らない新しく移住してきたその商家の人たちに、近所の人たちはこれまで1000年間の事情を話し、隣組全員でお祓いをしたという。昭和40年ころの話である。

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