和田姫命

平成31(2019)417
信州上田之住人 太田和親



郷里香川県観音寺市の友人からフェイスブックに今日、次のような投稿がありました。

これは、以下の通りですが、私にとって、非常に、讃岐の古代の歴史を考える大きな示唆になりました。

S水氏

今日は当市の結核・肺がん検診。都合で家から遠い木之郷町公民館の会場に行きました。
桜の木は残念ながらほとんど散っていましたが、札に勇ましいお姫様のことが書かれていました。
この桜と、和田姫命との関係はわかりませんでしたが、もしかしたら「木之郷」は「姫之郷」だったのかもと思いました。
https://wanikawa.com/jinnjya/kanon/109tihiro/109tihiro.html

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(以下私の投稿)

この和田姫は景行天皇の子供ということですので、日本武尊とこの和田姫は兄妹ということですね。この和田姫が豊浜町の和田に住んで、佐伯氏の祖となったのですかね。この神社があるところから和田は少し離れていますが、想像を掻き立てられます。また、空海を産んだ母親は、景行天皇の流れの佐伯氏の出身といわれているので、和田姫の末裔が、空海のお母さんじゃないでしょうか。というわけで私はこの和田姫は空海と関係があるのではないかと想像しました。

(香川県)観音寺三豊地区は、大昔、きっと、景行天皇の御子の神櫛王子と姫皇子の和田姫が、この地に来て住み、その時初めて、大和朝廷の支配下に初めて入ったのではないでしょうか。そこはそれまで、出雲の大国主命の国だったのですが、きっと朝廷の力が支配的になるに及び、王子たちを派遣したものと思います。なんだか信州の成り立ちとよく似ています。

母神山には多くの古墳があり、そのふもとにこの神社があるのも、そうした歴史を表しているように思います。近くに大野原の木之郷、中姫、豊浜には姫浜、そして、大野原の山奥には海老済、これらはみな、和田姫とその末裔の佐伯氏と、密接に関係していると考えられますが、皆さん如何でしょうか。

この神社の由緒書記の「燧灘に悪魚が出て、それを和田姫が成敗した。」というのは、きっと、この地で朝廷にまつろわぬ住民、漁民を表しているように思います。1800年くらい前の話ですが、これで和田姫と佐伯氏、空海までの約600年間の歴史が、つながります。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

したがって、図示すると

血縁関係からは

      日本武尊

景行天皇{

      和田姫  →  佐伯氏 → 弘法大師の母親 → 弘法大師







>>目次に戻る