さぬき昔話1:二代世持
信州上田之住人太田和親
平成28年11月20日随筆
明治の昔、讃岐の国の辻村に、母親と結婚した男がいた。隣の古川村のじいさんは、畜生のすることだと噂した。その噂を子供のころに聞いた娘が、この辻村の商家に嫁に行った。娘が60を過ぎたころ、店に、80を過ぎた古老がこの店に買い物に来た。古老は、買い物のあと、店の女主人に、自らの人生を、問わず語りに話していった。
「私は、二代世持(よもち)をしました。」
つまり、一度の人生に二度の人生を送りましたと言っているのである。尋常じゃない話に引き込まれた女主人はその古老に尋ねた。
「人生は一度のはずなのに、なぜ二度も人生が送れたのですか?」
「私は子供のころに母親を亡くしました。父は、若い後妻をもらいましたが、今度は父が、私が成人にしたころに、亡くなりました。父と後妻の間には子はありませんでした。そこで、家の跡を継ぐために私は、そのまま母と結婚して、世持をしました。」
この世持というのは、このあたりの方言で所帯を持つ、家庭を持つという意味と、人生を送るという意味がある。
「しかし、そうこうするうちにその年上の妻は、先に亡くなってしまいました。そこで、まだ男盛りの私は、後妻をもらい、もう一度世持をしました。」
店の女主人は、50年も昔に聞いた「辻村には母親と結婚した畜生がいる」という噂の主が、この古老であったと思い当たったということだった。
儒教の教えが染みついた明治のころの話である。血のつながりのないといえども、母親と結婚したことが当時としては、儒教の教えからは忌み嫌われたのであろう。