上田市芳田にあるオオヒルメ(大日[霊の下に女])神社

令和元年(2019年)726
信州上田之住人 太田和親


N山様

原田さんの本[1]、私は、いろいろ批判はありますが、とにかく、非常に、面白く、大変刺激になりました。私も、手元に置いておきたいと思って、アマゾンで検索すると、もう絶版で、中古品がものすごく高価な値段で出ていました。誰もが、価値のある本だと評価している証拠だと思いました。

今、別の本も読んでいるのですが、上田正昭著、「日本神話」、岩波新書D88という本です。

この中にも、天照大神について、同じことが書かれています。天照大神の名称は、もともと、オオヒルメムチノミコト(大日[霊の下に女]貴命)と言われ、皇祖神(天皇家の祖先神)ではなく、地方の祖先神だった。その時の名前が、オオヒルメムチノミコトと言った。ヒルメ(日[霊の下に女])は、ヒミコであり、日に仕える巫女のことである。さらに、このヒミコは、原田さんの本では、西都原(さいとばる)の卑弥呼と同一人物だといっています。

そこで、上田のある神社のことを思い出しました。上田市芳田にあるオオヒルメ(大日[霊の下に女])神社です。これは10年以上も前に訪ねて行ったのですが、珍しい名前の神社でした。その時は、良く理解していなかったのですが、これヒミコを祭っているということになりますね。上田市内には、ほとんどアマテラス系の神社はなく、出雲と諏訪系の神社が大半です。アマテラス系は、上田大宮さんで、これは、明治に王政復古してから、時勢に沿うように建てられたもので、極めて新しいものです。したがって、私は、上田は、出雲と諏訪系の支配地だったことを理解しました。つまり、タケミナカタが信濃の国を開闢した時、天皇家から見れば全く別の独立国だったのです。それで、上田市芳田にあるオオヒルメ(大日[霊の下に女])神社が、極めて古そうなのですが、どういういきさつで、ここに、この神社が建っているのだろうかと疑問がわきました。もしオオヒルメ神社が、天照を祭る神社なら、古代にここにこの神社が建つはずがないからです。このオオヒルメ神社は、皇祖神ではないヒミコを祭っている証拠ではないでしょうか?

[1] 原田常冶、「記紀以前の資料による 古代日本正史」、同志社(東京)、昭和51(1976): ISBN4-574-70016-5 C0021.







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