平泉の達谷窟と上田市角間の岩屋の類似性

令和元年(2019年)76
信州上田之住人 太田和親


 624日に、岩手県平泉町の町はずれにある達谷窟(たっこくのいわや)というところを初めて訪ねました。平泉の世界遺産の一つで正式には達谷窟毘沙門堂と言われ、インド由来の神様の毘沙門が御本尊です。訪ねてみて、ここは、信州上田真田町角間にある岩屋観音洞窟の歴史と全く同じことに初めて気が付きました。

 ここの達谷窟は、非常に大きなもので、かつて東北蝦夷の悪路王の拠点でした。延暦20年(西暦801年)に、坂上田村麻呂が悪路王を討って平定しました。悪路王は、アテルイ(阿弖流為)だと推定されています。アテルイの慰霊碑は平成に入ってから、京都の清水寺の音羽の滝の前に建てられました。

 信州上田の真田町角間温泉近くに、やはり同様な岩屋があり、ここにいた縄文人(蝦夷)のヒヤが、坂上田村麻呂に討たれています。西暦806年のことです。この岩手県平泉町の達谷窟にいた悪路王が坂上田村麻呂に討たれたのとそっくりなことに注目です。

 そこで、いろいろと類似性が見えてきました。

 信州安曇野の八面大王が、妻の紅葉鬼神とともに、西暦806年に坂上田村麻呂に討たれています。そして、安曇野や松本に、小泉小太郎伝説が残っています。

 また信州上田市産川の上流、野倉に鬼が住んでいたという話と、手塚地区前山地区に残っている小泉小太郎の民話。これは、不思議なことに、安曇野や松本の小泉小太郎伝説とそっくりです。

 これらの話は、皆西暦801-806年あたりに集中しており坂上田村麻呂が蝦夷を討ったことと全部関係しています。東北の蝦夷も、信州の安曇野の八面大王、戸隠の紅葉、真田角間のヒヤ、上田野倉の鬼も全部、縄文人の話だと、私は、考えるようになりました。

 弥生文化が一気に全国に広がったのではなく、縄文文化を最後まで守っていた人たちが801-806年ごろまで、信州や東北北部にいたということですね。








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