現在も信州に残る江戸時代の「5人組」制度

2018430随筆

信州上田之住人和親

皆さん、「5人組」って知っていますか。

私は、日本史で、江戸時代の制度、百姓を5人ずつまとめて、連帯責任を負わせる制度と習いました。

10年ほど前、私の大学の研究室で、長野市松代地区の出身のとても優秀な女子大学院生がおりました。おばあさんが、不幸にして亡くなり、そのためお葬式をしたが、今度、もう一度近所の「5人組」でお葬式をするので、もう一度忌引きさせてほしいと申し出てきました。彼女の地区では、近所で構成される「5人組」で、もう一度小規模にお葬式をするのが普通なのだそうでした。「5人組」という制度が今も残っていることに驚きました。

さて、私が住んでいるところは、長野県上田市の市街地の新興住宅地ですので、ほとんどの人が全国各地から移住してきていて、市から言われて作っている「隣組」はありますが、「5人組」はさすがにありません。溝さらい(香川県の観音寺三豊方言の「やべち」)は年に2回、隣組で行います。この隣組は、私の地区では、溝さらいのほかは回覧版の配布先くらいの意味しかありません。しかしながら、上田でも農村地区に行くと、昔ながらの「5人組」や「10人組」というのが残っているそうです。

以下は、奥さんが上田の出身なので、ここから800キロも離れた他県から移り住んで40年近くになるSさんから、3週間前にお聞きしたお話です。Sさんは、昭和24年の丑年生まれで69歳になる方です。10年ほど前までは会社に勤めながら兼業農家をやっていましたが、定年後は、農業だけをやっているとのことです。最近、田んぼを、タヌキやイノシシ、ハクビシンなどの動物に荒らされることが多くなって困っているそうです。さて、その地区には、今も「5人組」の制度が残っていて、地区の行事などは、その制度の上に成り立っているとのことでした。ところが、最近、その地区は、御多分に洩れず、少子高齢化が進み小学生がほとんどいなくなり、地区の行事が、参加する子どもが極端に少なくなってしまい、継続が困難になっています。また大人が中心の行事でも、Sさんのように69歳でも若い方で、ほとんどが後期高齢者になって来ていて、みんな行事を行うにも、足腰が弱ったり痛くて続かないという状況に毎年なって来ています。そこで、地区の寄合で、そろそろ、行事を見直して減らしたり、やめたらどうかと提案したところ、昔から住んでいる60代の女の人から、村の行事やおきてに従えない人は、ここに住むな、住んでいても村八分にすると、怒られたとのことでした。Sさんは、村八分にされては、たまらないので、口をつぐんだそうです。

これって、皆さんどう思いますか。


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