信州上田の白蛇神社の話

 

2012830日随筆

信州上田之住人太田和親記之

 

 上田の太郎山の山のふもとに、白蛇神社という山伏さんが建立した珍しい神社がある。この神社、建物全体が真っ白なので、国道18号線を長野方面へ走っていると上田市内から、国道の真正面に、山の緑の中に真白な姿がよく見え、非常に目立つ。この白蛇神社は、上田市内では唯一の山岳信仰の神社である。建立されたのは比較的新しく昭和の初め、今から約80年前である。建立の経緯が非常に興味深い。

 私は、2004年から34年間上田市内のすべての神社、仏閣を趣味で訪ね回っていた。その時、この白蛇神社を見つけ、ある日曜日に訪ねた。国道18号線から細い脇道に入り、太郎山に向かって急な坂をしばらく上っていくと白亜の神社があった。他の普通の神社と全く趣が違う。私が訪ねた時には、だれも全くおらず、境内は静寂そのものであった。広場を横切り、正面にある石の階段を上った。建物はコンクリートだが入母屋造りで、確かに神社である。ところが仏教のサンスクリット語のような文字が鴨居に書いてあり、神仏習合の様子が見える。不思議な感じがして、建物の中を扉のガラス越しに眺めていたら、後ろから「何をしているのですか」と突然一人のおじいさんから声をかけられた。私は驚いて振り返った。今までにもこういうことがたびたびあった。不審な男が、建物の中をうかがっているのだから、あやしいと思われても仕方がない。そこで、私はこのおじいさんに説明した。「私は上田市内の神社仏閣をすべて回って訪ねています。今日は、この神社を訪ねて参りました。」そう言うと、おじいさんの表情が緩んだ。そこで私はこのおじいさんに尋ねた。「ここは他の神社ととても違いますが、どうしてですか。」おじいさんはこの神社の神主さんで山伏さんということであった。だから建物も他の神社と違うし、神主さんの格好も他の神社の神主さんとは違っていたのだ。

 おじいさんの話によるとこの神社は、もともと木曽の御嶽山の山岳宗教の系統だということだ。山伏の山岳宗教は、役行者(えんのぎょうじゃ)が飛鳥時代に始めたもので、非常に古くから今に伝わったものである。だから、明治時代に神仏分離令が出された後も、一応神社に分類されていても、長い神仏習合の伝統や儀式は今に続いている。それで白蛇神社も梵語(サンスクリット語)の文字が書いてあるのだと説明してくれた。

 この白蛇神社はこのおじいさんの先代の山伏さんが、昭和の初めころ、木曽の御嶽山から上田に来て建立した。当時上田に代々盲目の子供しか生まれない家があった。この家の先祖が、7代前というから、江戸時代の話である。大工をしていた男が、お城の草刈りの奉仕に駆り出され、お城の北側にある現在は上田高校野第2運動場になっているところで、草刈りをしていた。その時草の中から白い大きな蛇が出てきた。この男は、とっさに、持っていた草刈鎌でこの白蛇を殺した。見事な白蛇であったので、殺した白蛇をお城の門前脇にある石垣の巨大な石の上に挟んでさらした。この巨大な石は真田石と言って今も有名な巨石であるが、ここに白蛇をさらして皆に見せた。その夜、この男の夢の中に、この白蛇が出てきてこう言った。「お前に今日殺された白蛇だ。お前に殺されたのは、俺の油断もあって仕方がない。しかし、その後、お前は俺をさらしものにして、俺に大恥をかかせたのが許せない。お前の子孫を7代にわたって盲にしてやる。]と言って消えた。はたして、その男の子も孫もまたその子も孫も代々、盲しか生まれなかった。そして、この家は大変困窮してしまった。昭和の初め頃、先代の山伏さんは、木曽の御嶽山から上田に来て、この話を聞いた。不憫に思い、その頃小諸に住んでいたこの男の子孫のおばあさんを訪ね、悪縁を断ち切るため、神社を立て祈祷したいと申し出た。盲目のおばあさんは、最初はこの山伏を怪しんだが、この山伏に私心のないことを知り最後は祈祷してもらうことにした。神社を建てるところは、白蛇が殺されさらされた上田城が見えるところの太郎山の山麓を選んだ。このおばあさんには目の見えるご養子さんが入って、跡を取り、それ以降は盲目の子孫は生まれなくなったという。

 白蛇神社では、毎年5月の初めに、火渡りと白刃の梯子を登る儀式が行われ、よく地元のケーブルテレビで放映される。

 話は全く変わるのだが、私は上田にある信州大学に勤めていて、23年前研究会で出会った大阪市立大学の先生と、共同研究を行うことになった。大阪市立大学で合成した、新しい液晶物質の液晶性を確立するための測定を、信州大学の我々の研究室で行うことになった。試料が多数であったので、大阪市立大学から、修士課程2年生の女子大学院生が1ヶ月間、信州大学に来て測定することになった。この大学院生、非常に切れ者で手際が良く、彼女にとっては全く新しい測定機器なのだが、すぐに使い方を覚え、普通の学生なら1年間はかかる実験をわずか1ヶ月でやり終え、大阪に帰って行った。ほれぼれとするような立派な大学院生であった。後に大阪市立大学の先生に会った時、「彼女は大変立派でした。先生のところで博士課程に行かせればよかったのではないですか」と思わず聞いてしまった。大阪市立大学の先生も「そうなんです。是非、博士課程に行ってもらいたかったのですが、『就職します』と言って、DIC(大日本インキ化学工業)に就職が内定しています。」とのことであった。

 この女子大学院生に、1ヶ月間上田に滞在するなら、こちらで安く泊まれる、信州大学繊維学部の同窓会館を予約しますよと伝えたところ、なんと上田に親戚があるのでそこに泊まるとのことであった。上田に到着した日に、その親戚の場所を聞いてびっくりした。なんとその親戚は白蛇神社だというのだ。この女子大学院生のおじいさんが、私も知っている白蛇神社の神主さんだった。この女子大学院生が俊敏で頭脳明晰なのは、山伏のおじいさん譲りだったのだと、私は後で納得したものだった。不思議な縁を感じた次第である。



>>目次に戻る