千曲川の守り神、安徳天皇

 

信州上田之住人太田和親

201279日随筆

 

私は上田中の全部の神社仏閣を約4年かけて回った。その数は約200である。大小様々であったが、特に神社の中で、まつられている御祭神に非常に興味深い事実に気がついた。信州の上田市の中では、半分以上が諏訪の神様がまつられている。一方、唯一一箇所だけ、他に類を見ない御祭神が、千曲川の堤防、諏訪形(地名)に存在する。

千曲川は、日本一の大河で漁業が盛んである。川ではあるが、漁業協同組合もあり、6月から10月には「つけば」という名前の川魚料理の小屋が河川敷の各所に開かれ、ハヤやアユの料理が出される。つけ場は千曲川の風物詩の一つである。6月にはアユ漁が解禁となり、入漁料などの一定の料金を払えば千曲川でアユ釣りが楽しめる。時期が来ると、たくさんの釣り好きの人たちが胸まであるゴム長靴をはいて、川の中に日がな一日入り、アユ釣りをしているのが遠望できる。

また、山国信州であるが、漁業だけで生計を立てている人たちもいる。上田市では、鯉西さん、臼田漁業さんなどが有名である。鯉西さんはJR上田駅の「温泉口」を出てすぐの千曲川河川敷で、「つけば」を開いている。また、JR上田駅の「お城口」の前で、アユの甘露煮などを売る常設店も経営している。臼田漁業さんは、小牧橋付近の河川敷内の池と常田池で鯉の養殖を行っており、年末年始には鯉を食べる習慣が東信地区にはあり、年末にはアルバイトを雇って鯉の出荷に大わらわである。このように、山国信州からは想像しがたいが、漁業も盛んなので、漁業協同組合もあるというわけなのである。

私は、千曲川の堤防の上の道路の脇にこじんまりした神社がまつられているのを、散歩の途中に見つけた。その神社は、漁業協同組合の方々の崇敬が厚く、年に1回皆ここに集まっておまつりをするとの説明書きがそこにあった。そして御祭神は、なんと壇ノ浦で二位尼とともに海中に身を投じた安徳天皇であった。

わずか6歳の安徳天皇を抱き、祖母に当たる二位尼は、幼い安徳天皇に「波の下にも治めるべき国はございます。」といって、海中に沈んだという。平家物語を全編読んだばかりの私は、この話をすぐに思い出し感動した。千曲川の水中は、安徳天皇が治める国なのだと思った。

ところで話は少し変わるが、最近NHK-BSの「新日本風土記」を見ていたら、徳島県の祖谷(いや)地方のことを放映していた。阿波の祖谷といえば、秘境中の秘境で、今は祖谷のかずら橋が有名である。祖谷は、源平の合戦で敗れた平家の落人(おちゅうど)が隠れ住んだところで、明治になるまで平家であることを知られないため墓を作らなかったとか、墓を作っても文字を刻みいれないとか、隣の讃岐(香川県)の出身の私は、子供のころから両親に聞かされていた。その祖谷で、阿佐(あさ)家という祖谷で最も大きな家に住んでいる当主が、今回NHKに語っていた。「私は、壇ノ浦で戦死したことになっている平盛国の子孫です。盛国と安徳天皇は、ここ祖谷に落ちのび、ここで生涯を終えました。我が家の墓は『ふせばか』といって、字が刻んでありません。平家の子孫であることを知られないためです。また、家の仏壇のこの像は安徳天皇です。安徳天皇は壇ノ浦では亡くなっていません。先祖の盛国がここ祖谷までお連れしました。」そして、NHKのテレビカメラは、仏壇の中で鎮座する安徳天皇の古い小さな像を映していた。

千曲川の守り神、安徳天皇は今も、祖谷の阿佐家に鎮座されている。千曲川の漁業協同組合の方々も、祖谷にお参りに行かねばならないなあと私は一人、NHKのテレビに向かってつぶやいた。


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