後藤象二郎と金玉均の直筆の石碑
信州上田之住人
太田 和親
2005年8月14日
上田市古安曽地区に後藤象二郎と金玉均の直筆の石碑があるのを見つけました。題が後藤象二郎の直筆で、本文が金玉均の直筆です。二人とも歴史上大変有名な人ですが、何故このような人達の墨跡が、古安曽地区にあるのか御存知の方、その由来を教えていただければ幸いです。
(石碑の場所)市内古安曽中、生島足島神社から東塩田小学校に向かう県道上田平井寺線脇石神バス停横の「表徳碑」。
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(碑文表)
表徳碑
孝本忠愛誠推肝??矣
典型郷?是揚?又其胤天挙碩徳
従二位伯爵後藤象次郎頭額
朝鮮金玉均撰并書監
(碑文裏)
支千二百人古安曽中
明治廿三年十月 建立
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*?の漢字は石碑が割れていて不明のもの
(人物)皆さんよく御存知のように、後藤象二郎(碑文には後藤象次郎)は、幕末の土佐藩士で、明治の元勲。豪胆な人で有名です。坂本龍馬が書いた大政奉還の案「船中八策」を、土佐藩主山内容堂に取り次ぎました。容堂はこれを将軍徳川慶喜に「大政奉還建白書」として提出し、慶喜がこれを受け入れて、江戸幕府は終わった事は有名です。また、明治になって、後藤象二郎は朝鮮国の金玉均と親交を持ち福沢諭吉らとともに、開化派(朝鮮国版維新推進派)を支援ましたが、開化派はクーデターに失敗し、リーダーの金玉均は日本に亡命しました。しかし、後に上海で旧守派の刺客に暗殺されました。後藤は、このように、二つの国の維新に関与していたことがわかります。朝鮮国の維新が成功していたらアジアの歴史はどうなっていただろうかなど色々考えさせられる石碑ですが、この石碑が何故ここに建てられたのか、郷土史などにも載っておらず不明です。識者の解明を待ちます。
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