信濃国分寺とシーボルト記念館
信州上田之住人
太田 和親
2004年2月3日随筆
信濃国分寺本堂の建物とそっくりのミニチュアが、オランダ・ライデン市のシーボルト記念館1)に有ります。私はオランダ滞在中にこのことに気付き大変興奮しました。
1996年に半年ほど、オランダのデルフト市に仕事で滞在していた時、休日にオランダの友人の案内で、私は、デルフト市から東へ50km位の所に有るライデン市へ、観光に行きました。オランダは国が小さいので簡単に国中を、電車で日帰りで回れます。電車がライデン市に到着すると、駅から歩いてライデン大学はすぐです。そのライデン大学の中にあるシーボルト記念館1)へ行きました。
シーボルトは皆さんよく御存知の通り、幕末長崎の鳴滝塾を開き、オランダ医学などの蘭学を、多くの日本人に教えた人です。シーボルトはシーボルト事件で有名になったように、日本の多くの物産や動植物を収集していました。御禁制の日本地図も入手していたため、門下生などが捕らえられ、大事件になったことは歴史の教えるところです。しかし、5万点にも及ぶ日本の様々な文物や動植物の標本などは、シーボルトが帰国後彼の日本研究を支え、大著「Nippon(日本)」として結実しました。西洋に初めて詳しい日本の実情を紹介するきっかけとなりました。アメリカのペリーも、日本に来る前にこの本を読んだと言われています。また、アメリカが日本に開国を迫った時にも、「日本では性急に事を進めてはいけない」というシーボルトの助言を受け入れ、「一年後にまた返事を聞きに来る」と言って、ペリーがアメリカに一旦帰ったのは、その為だと言われています。
シーボルト記念館1)の館内は何階かに分かれていて、日本の動物の剥製、特に絶滅した日本狼など、ここと東大にしかない貴重なものや、日本の植物の標本と詳細なスケッチの本などの、膨大な資料の一部が展示されています。また、館の外の庭には、シーボルトが持ち帰った日本の植物が実際に植えられ、その庭2)も散策できるようになっています。私は館内の展示で、とても印象に残ったのは、日本の生活用具などのミニチュアが、大量に有ったことです。子供のままごとセットを思い浮かべてもらえば判るでしょうか?小さな小さな、のこぎり、かんな、鎌、小さなお膳に載ったお茶わんやお箸など、日本の生活をそのまま見ることが出来ます。素晴らしいコレクションで、当時の西洋の人は目を見張ったと思います。また、ちょんまげと島田を結った町人の夫婦が、番傘をさしている写真も有りました。写真と言っても、幕末のことなので、銀塩写真のガラス板で、ガラス板の裏からライトを当てて見えるようにしたものでした。写真の中の漢字が裏返しになっていて、オランダ人の職員がセットするときに間違えたままになっているのに気付きました。私はにやりとして、横にいたオランダ人の友人に、そのことを言ったのを覚えています。また、「ねつけ」と言って、刻み煙草を携行するため、印籠などのひもの根元に付けて飾る、小さなひもどめ・・・、今で言ったら、携帯電話のストライプの根元に付ける小さな人形のような飾り、と言えば判るでしょうか。これが、徳利だったり、かわいい女の人の人形だったり、本当にいろいろな「ねつけ」が沢山飾ってありました。婦人がしゃがんで、たらいで洗濯をしている姿を映したものも有り、下から見ると、陰部も彫ってあったりして、ちょっとエッチで驚くものも有りました。こういうミニチュアが館内の壁いっぱいに展示してあるのですが、部屋の中央には、少し大きいもの、日本の建物のミニチュアも飾ってありました。大きさは30cm~60cm(1尺?2尺)位の高さのものでした。その中で、お寺の精巧なミニチュアが有り、どこかで見たことの有るものでした。上から見ると全体が正方形に見え、大きな瓦屋根になっています。更に、手前に張り出した小さな屋根が正方形の屋根から突き出て付いています。正面から見ると、この小屋根の両脇は2本の柱で支えられています。その2本の四角い柱の上部には、それぞれ、象3)のような彫物が、柱の側面に左の柱には左を向いたものが、右の柱には右を向いたものがありました。その2本の柱の正面にはそれぞれ、獅子の彫物が有りました。これを見て驚きました。建物全体の形も、またこの彫物も全て、信濃国分寺の本堂の造りと全く同じなのです。オランダで、信濃国分寺のミニチュアを見るとは、思ってもみなかったので、大変驚きました。
信州上田の皆さん、もしオランダに行くことがあったら、ライデン市に有るシーボルト記念館1)を訪問してみて下さい。きっとそっくりなことに驚くと思います。
1)
正確には、「国立民族学博物館日本コーナー」というらしいです。ライデン中央駅から歩いて3分位です。
2)
正確には、広い「ライデン大学付属植物園」のうち、日本庭園が「シーボルトガーデン」と名付けられているようです。
3)
象のように見えますが、正確には、想像上の動物で麒麟だそうです。最近、NHKのテレビを見ていて、このことを知りました。それによると、獅子も実は想像上の動物だそうです。信濃国分寺には、この小屋根の下の2本の柱に麒麟と獅子の彫物が有り、更にこの2本の柱の間の欄間には、もう一つの想像上の動物、鳳凰が彫られています。昔の人々にとっては、この三つの想像上の動物、麒麟、獅子、鳳凰は、全ておめでたい動物だったそうです。シーボルト記念館1)のミニチュアのお寺の欄間に鳳凰が彫ってあったかどうかは、その時このことを知らなかったので、見ていません。もし、見に行った方は確かめて、お報せ頂ければ幸いです。
追記
尚、この信濃国分寺本堂の造りは、不思議なことに、上田市内の諏訪部神社の造りと酷似しています。麒麟と獅子の彫刻もほとんど同じです。お寺と神社なのに造りが同じです。両者とも江戸末期に建てられたようで、当時の神仏習合を反映してでしょうか。もし、理由を御存知の方がおられたら教えて下さい。