更級(さらしな)の地名について

信州上田之住人
太田 和親  
2005814日随筆

 更級という地名について、最近、面白いことに二点気がついた。
 昔高校の時、約1000年前に書かれた更級日記を古典で習った。さらしなという地名が四国の高校生の私にはとても珍しかった。長野県上田市に移住してから23年になるが、2005年になって、このさらしなという地名が地上から消えてしまったことを残念に思う。200511日に更級郡大岡村が長野市に合併されて、更級郡は消滅した。皆さん気がついていましたか?
 今年2005年、前々から読みたいと思っていた小学館新編日本古典文学全集「太平記1234」を約1ヶ月半かかって読了した。この「太平記」巻三十「土岐三河守討死の事」の段の中で、「さらしな」の地名が出て来る。この地名について注釈がつていて、「佐羅科。京都府八幡市西山足立。八幡山西南で、河内へ通ずる街道上の地」とある。信州の更級以外にも京都に更級があったことを、初めて知った。今、インターネット上の地図で調べてもこの佐羅科という地名は見出せない。しかし、650年ほど前の南北朝の騒乱の頃には、確かにここに更級という地名が存在したことを「太平記」は伝えている。
 以上のようにこれら二箇所の更級という地名はもう存在しない。



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