科野大宮さんの御神木の高さ?

                           信州上田之住人
太田 和親  
2004220日随筆

 信州上田の科野(しなの)大宮さんの社殿の裏、右手に、ものすごい大きな木(周囲29=8.8m)の、切り株(高さ1=10=3m)だけが今も残っています。見たこともない大きさの切り株で、驚きます。約300年前までの1500年間そこで立っていて、巨木の御神木として江戸時代の初めまで、大変有名であったそうです。「信州の縄文杉」といったところでしょうか。正確には「信州の弥生ケヤキ」ですが・・・。その御神木の影は、朝には諏訪部まで届き、夕べには信濃(しなの)国分寺まで届いたというのです。
 そこで、諏訪部の向源寺橋(距離2480m)と信濃国分寺(距離1540m)からの仰角を4度として計算すると、それぞれ御神木の高さが173.4m107.7mという、とてつもない高さになるのです。どなたか地元で言い伝えられている高さに関する他のうわさを知りませんか?また、どなたか上田の北緯3623分で冬至の日にという仮定で、正確にこの御神木の高さを影の長さから計算できる方、計算やってみて頂けたら有難いです。
 日本書紀には、「昔、近江の国(今の滋賀県)に巨木がありその影は朝にはちぬの海(大阪湾)まで届き、夕べには伊勢湾まで届いた。その影が農業の支障になるので住民がこれを切り倒すのを認めて欲しいと国に陳情があった。」との記述があったのを思い出しました。日本書紀のはスケールが違いますが、科野大宮さんのこの巨木も同じように大変興味深いですね。
 農業が弥生時代とともに広まっても、神社の木は切らないのが日本人の昔からの習慣なので、このように巨木が残ったということでしょう。それならば、科野大宮さんの出来た時期が判らないと、科野大宮さんの史跡指定説明文に書いてありますが、私は、この巨木の樹齢から考えて、多分1800年くらい前に出来たのではないかと思います。1800年くらい前といえば卑弥呼の時代あたりですね。ここ上田に、最初に来た弥生人は、諏訪部の高橋近くに有る標札によると、諏訪族だったそうです。
 この御神木から、いろんなことが想像されて、古代のロマンを感じます。



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