たけし君ハイ!
2012年12月15日随筆
信州上田之住人 太田和親
最近、ビートたけし(65歳)さんの長兄北野重一さんが76歳で亡くなったそうです。それで、私は、ビートたけしさんの一家をモデルにした1986年のNHKドラマ「たけし君ハイ!」にこのお兄さんのエピソードが描かれていたことを、思い出しました。
このドラマでは、たけし君の明治生まれのお父さんは、ペンキ屋さんで無学文盲でした。字が読めないことで、請け負った病院の塗装工事に失敗した話には胸が詰まりました。診察室は何色に、受付は何色にと言われたのですが、その部屋の名札の漢字が読めなかったのです。そのお父さんは、ある日、息子の重一さんが下宿している部屋を訪ねて行きました。一流大学で勉強している息子のドイツ語の原書の本を本棚から取り上げ、ちゃんと勉強いしているならこれをおれの前で読んでみろと言って息子に手渡し、自分は窓の敷居に腰掛けてじっと聞いている場面を思い出します。ドイツ語などちんぷんかんぷんなお父さんですが、息子の重一さんがドイツ語を流暢に読む姿に満足そうでした。きっと、お父さんはこの息子の重一さんを誇りに思っていたのでしょう。このドラマのような文盲の苦しみを描いた作品は今では皆無です。そのため「たけし君ハイ!」は今でも貴重な内容のドラマだと思います。
もう今の若い人には文盲の日本人を見たことはないでしょう。 私の年齢(60歳)では、子供のころに3人ほど実際に会ったことがあります。 この人たちは小さいころ家が貧しくて尋常小学校に行かせてもらえなかった明治生まれの老人ばかりでした。尋常小学校というのも今の人には聞いたことがないと思いますので、簡単に説明します。尋常小学校は義務教育で、明治40年以前は4年間、それ以後は6年間でした。戦前は、この尋常小学校のみが義務教育でした。そのため戦前の中学校は義務教育ではありませんでした。そんな短い義務教育でさえ、家庭が極貧で子供も働き手とみている家では、子供を尋常小学校にやりませんでした。特に明治時代には女の子に教育は必要ないという考えが根強かったため、私の子供のころのおばあさんたちには字があまり読めないという人がかなりいました。完全に文盲の人は少なかったですが、3人ほど文盲のおばあさんやおじいさんを私は覚えています。
ビートたけしさんや私の年代では、そのような明治生まれの人たちが、子供のころまだたくさんいたのです。
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