今は昔の西讃岐弁
信州上田之住人
太田 和親
2011年2月7日随筆
香川県立観音寺第一高校卒業生ブログ、なかよし倶楽部
平成23(2011)年2月6−7日投稿
西讃岐弁でわからへん言い回し
どなたかわかる人、おっせてつか。
『あごいがすぎる』
これ、こんまいころに、ははおやから、ようおんかれるときにいわれたんやけど、もういまんなったらようわからへんのんです。ほんだきん、どなたかしっとたら、おっせてつか。ははおやもすうねんまいにかぞえの90でしんでしもたし、ネットでしらべても、なんちゃのってないきん。
どういうときにいわれよったか、おもいだしてみよっても、もういまではようわかりません。たしかに、たびたび、わるいこと、がいにして、いっちょもはんせいせんとき、ははおやから、「あごいがすぎる」ちゅうて、おんかれたのはおぼえとるんです。これ、ひょうじゅんごで、いいかえたらなんやろかなぁ。
ちなみに、「あご」とはなんちゃぁかんけぇせんきがします。あごは、みとよ・かんおんじでは、「あげと」ぉいいますきんな。ちなみに、「あげと」は、古語の「あぎと」がなまったもんじゃろぉおもいます。
どうきゅうせぇのみなはん、もし、「あごいがすぎる」のいみ、わかったらおっせてつか。たのしみにまっちょるきんな。
信州上田之住人 和親
ここまで書いてなかよし倶楽部に投稿しょうおもたんやけど、ひょっととおもて本棚に行って、進学した下の娘がのこしていった「完訳用例古語辞典」監修金田一春彦、学研の12ページを見ました。おお、これじゃ!とおもうのがありました。たぶん、まちごてないとおもいます。どうきゅうせぇのみなはんに紹介します。その辞書には、次のように書いてあります。
あこぎ【阿漕】名詞(1)度重なること。隠れて行うことも、度重なると隠しきれないこと。(2)ずうずうしいこと。あつかましいこと。◆何度も禁を犯すことから。⇒阿漕が浦
阿漕が浦(地名)今の三重県津市阿漕町の海岸。伊勢神宮に供える魚介の漁場で、禁漁区であった。ある漁夫がたびたび密漁して捕らえられ、海に沈められたという伝説がある。
おお、これじゃ!おかあちゃんにおんかれたじょうきょうとおなじじゃ!「あこぎがすぎる」ちゃぁ、「何度も禁を犯して、反省せん様子」のことやと、なっとくしました。でも、いまからかんがえると、ははおやに海に沈められんでよかった。こんまいときには、いみようしらんかったきん。
どうきゅうせぇのみなはんは、「あごいがすぎる」ぅいわれませんでしたか。ぼくだけやろか。こんないいまあわしおぼいとるんは。もう死語でしょうかなぁ。
ほんだきんど、ながいことわからんかった言い回しなんで、本日長年の疑問が氷解して、ぼっきゃは、がいに感動しました。方言はおもっしょいなぁと思います。
信州上田之住人 和親
皆はん、お返事おおきにありがと。やはり「あごいがすぎる」はぼくだけのようですな。ちょっとこば、さみしいです。ほんまに、同級生の皆はんで、だあれも言われたことないですか。この言い回し、三つ上の兄貴にも聞いてみよ思います、兄貴も覚えとるかって。僕の小さい時には、もうすでに死語にちかかったんかなあ、「おしょしな」とおなじように。僕の母親の母親は、明治20年代生れの旧三豊郡豊田村の出身の人でしたが、母親が子供の頃の大正時代には、おばあちゃんは「そんなこと、おしょしな(はずかしい)」と言っていたとのことです。でも、それは僕の母親の娘時代には既に死語に近かったといいます。新潟では、「しょうしい」ははずかしいという意味で、今も使っていると新潟出身の兄嫁が言っていました。
讃岐弁、東と西の違い
皆さんも御存知のように同じ讃岐弁といっても、西讃と東讃ではかなり違いますね。私が1981年に東芝の新入社員の研修のため、香川県高松市のダイエーの電気売り場で二ヶ月半働いていましたが、その時聞いた笑い話です。今でもそのようですが、量販店の電気売り場には、ダイエーなどの社員は一人しかおらず、後は14・5人全員が、東芝や日立などの電気会社からのヘルパーでした。
ダイエー高松に来たお客さんがテレビのわくを触りながら、「このテレビいた!?」と電気売り場のある店員に聞きました。その人は関東の出身の東芝の工員さんだったので、意味をとり違いえて、「これは、板じゃない、プラスチックだ。」と答えました。三豊・観音寺地区の出身の私たちは、高松方言の「いた」は使いませんね。必ず「つか」といいますね。同じ県でも少しずつ言葉も習慣も違いますね。方言は、面白いですね。
「いた」と「つか」の境 考察
満濃町の人は、「つか」と「きん」と言っていますね。高松の人は、「いた」と「けん」と言いますよね。三豊・観音寺からみると満濃はかなり高松に近いけど、「つか・きん」圏のようですね。たぶんですが、昔の高松藩と丸亀藩の領地の境がこのように、「いた・けん」圏と「つか・きん」圏に分かれているんじゃないでしょうか。
「いた・けん」圏と「つか・きん」圏 の考察2
満濃って三豊観音寺からは象頭山越えて行かないといけないので、随分遠いと思っていたけど、地図を見ると、高松より三豊のほうに近いですね。となると、坂出と綾歌郡のあたりの人々が「つか・きん」って言っているか、「いた・けん」と言っているかですね。だれか知らないですか。坂出・綾歌郡に親戚いる人教えてくれませんか。
高松藩と丸亀藩の習慣の違い
丸亀藩の地域では、子供が生まれたというと、娘の実家の両親は、それっと言って、チヌを嫁ぎ先に届けます。これはお祝いの意味と、産後の肥立ちを一日でも早く回復してもらいたいという親心です。しかし、高松藩の地域では、チヌは「血が狂う」(産後うつ病になる)と言って、絶対にそうしません。確か、タイだったか、別の魚を送ると言っていましたね。これ、私の母親からも聞いたし、30年前高松市に新人研修で泊っていた旅館のおばさんも同じことを言っていました。極めて面白い話だなあと思います。今はどうなんでしょうか。
発音に関する丸亀藩と高松藩の違い
高松の人の発音で、特に気がつくのはkhの発音があることですね。「いかぁんわの」のかぁがkaではなくてkhaになっていますよね。これって、中国語の有気音のように激しい風が出ています。韓国語の激音と同じですよね。これって、三豊観音寺ではないですね。
それと、三豊観音寺の人はいまは「かんおんじ」って発音していますが、私の親の時代までは「くぁんおんじ」でしたね。つまり、kaじゃなくてkwaというkw発音が歴然とありました。わが母校の偉人大平元首相も「くぁんさい(関西)」「くぁんとう(関東)」と国会でも言っていました。kw発音は、三豊観音寺ではすたれましたが、高松にはまだありますか。
おお、そういえば、関西学院大学の英語表記はkwanseigakuinでkwだわ。「かんせいがくいん」じゃなくて本当は「くぁんせいがくいん」なんですね。
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