平成27年(2015年)912

信州上田之住人 太田和親 随筆

 

先日、私は液晶学会が終わって、夕方、三軒茶屋の駅で、東京で勤めている娘と待ち合わせていた。台風が接近していて、三軒茶屋の駅を地上に出ると、外は暗く激しい雨が降っていた。そこで娘と会い、一緒に歩いて、夕食を食べに三軒茶屋からレストランに向かって歩道に出た。みんな傘をさしている人ばかりの中、前を歩いている30歳くらいの女の人は、傘もささず小脇に包み袋を抱えて、私たちの前を裸足でゆっくり歩いていた。白いブラウスに黒いスカートをはいた中肉中背の女の人で、決して変な人には見えないが、歩道の黄色いブロックの上を裸足で歩いていた。娘と私は彼女を追い抜いて前に出た。しばらくして、娘が私に振り向きながら「あの人、裸足だったね。どうしたのかな?」と聞いた。私は小学生のころを思い出していたので、「父さんが小さい頃は、雨がすごく降っているときには、学校から帰るときは、ズックを脱いで、裸足で帰ったものだよ。あの人も、きっときれいな靴を濡らしたくなかったんじゃないか。」「へえ、父さん、学校から裸足で帰っていたの?」「うん。みんな、靴が濡れて汚れるのがいやだったから、当時の友達はみんなそうしていた。」「父さんとこは、すごい田舎だったんだね。」

 

~ん、これ昭和35年くらいの讃岐の田舎の話だが、それで、臥蛇島のことを思い出した。

 

九州トカラ列島に臥蛇島という島があるが、今は無人島になっている。昭和39年東海道新幹線が開通して間もなく、臥蛇島の熱血先生が、島の小学生に都会を見せてやりたいと、わずか数人の全校生徒を引率して東京に修学旅行に来た。東京を見物し、帰りは初めて新幹線に子供たちを乗せた。島では汽車だって見たことないのだ。東京駅のホームには、新聞記者やテレビのカメラが彼らを追っていた。わたしは、この時のドキュメンタリーを、大昔の子供のころに見た。そのドキュメンタリーでは、臥蛇島の小学生の小さな女の子は、ちび丸子ちゃんそっくりの姿で、スカートに帽子をかぶってリュックをしょっていた。そして、東京駅のホームの上に立っていた。でも、その女の子は裸足だった。さすがに田舎出身の私も、驚いてすごく印象に残っている。

 

50年後の今の日本は、豊かになって、さすがに三軒茶屋の女の人みたいに裸足で歩いている人は、とても珍しくなった。


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