マッサンの最終回で思うこと

平成27年(2015年)329日随筆

信州上田之住人 太田和親

 

昨日の328日、成田のホテルで、朝の連続テレビドラマ、マッサンの最終回を、日本化学会に行く準備をしながら見ました。日本人のマッサンとスコットランド人のエリーとの純愛とニッカウヰスキー創業の物語が好きで、めったに見ない朝のテレビドラマを、この番組だけは昨年の秋から続けて見ていました。最終回になって残念です。さて、なぜ成田に泊まったかというと、日本化学会が日大船橋キャンパスで行われるので、学生が近くにホテルをとろうとしたのですが、全くなくて、遠い成田になったのです。成田に泊まることはめったにないので、前の日327日の晩は、成田で住んでいる古い友人夫婦と18年ぶりに会って、旧交を温めました。彼らは、マッサンと同じ、国際結婚のカップルです。マッサンの番組に毎回、最後に私たち国際結婚ですといのが出ていましたが、彼らも国際結婚のカップルです。この二人には非常に思い出があります。

夫はドイツ人で、私が初めて会ったのは、24年前のフランスのパリの大学です。ピエールキュリーとマリキュリーがラジウムを発見した大学です。わたしは、その大学でさらに5年前の1986年から1987年の1年間、ポスドクをしていました。そのポスドクをしていた研究室に、国際会議の帰りに、5年ぶりに再訪問しました。その際に、彼に初めて出会いました。「私は今日本語を勉強しています。しかし、普通の日本語の辞書には、科学の用語が全く載っていなくて困っています。」というので、「わかった、日本に帰ったら『理化学事典』を送ってあげるよ。」と言って、後から分厚い「理化学事典」を送ってあげました。3年後、彼から連絡があり、今日本の有名な企業のポスドクに来ているということで再会しました。それからポスドクの契約期間が終わりに近づいてきたとき、彼から電話があり、「日本人の女性と結婚したいのだが、留学ビザではこれ以上滞在できない、結婚するためには、日本で就職しなければならない。どうしたらいいだろう。」と相談されました。聞けば、成田に着いたその日、成田からその企業に行き、受付で英語が非常に上手な日本人の女性と会いました。すぐに恋に落ち、その人と結婚したいとのことです。赤い糸で結ばれていたのですかね。「わかった。なんとかする。」と約束して、液晶やインキなどの色素の研究をしている会社の研究所の所長が、阪大の出身のよくしっている元先生だったので、その方に電話をして、事情を説明しました。1年間の試雇期間中の彼の働きぶりを見て、1年後彼は本採用となり、めでたくその女性と結婚しました。その女性は、英語が堪能でしたが、夫が日本の会社で日本語で疲れて帰ってきたら、彼の母国語のドイツ語で話してあげたいと、それから1年間ドイツ語の勉強をして、ドイツ語もしゃべれるようになりました。再会した一昨日、確かめたところ、夫婦の会話はもちろん毎日ドイツ語だとのことです。こんなやさしくて語学の才能のある奥さんめったにいないですよね。彼は、今年57歳なので後3年で、会社を停年になるため、その後はドイツか日本かで夫婦で住むとのことでした。お子さんはマッサンとエリーと同じくできなかったそうです。

次の朝、成田のホテルで、マッサンの最終回を見ながら、彼らもいつまでも幸せな夫婦でと心の中で願いました。


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