日高見国と古代原住民の神様

令和元年(2019)719
信州上田之住人 太田和親

先日、古代史研究同好の友人と会い、非常に興味深い話が出来ました。日本がいかにして統一国家になって行ったのかというのを、古代に原住民に信仰されていた神様を推定することで、解明できるのではないかという話になりましたので、以下にご披露します。

N山様

先日は大変楽しいひと時をありがとうございました。 このような話が出来るのは本当に奇遇です。私も皆様に知遇を得たことが大変嬉しいです。

(1)さて、蝦夷は日高見国と称していたというお話し、すごく面白く思いました。

そう言えば、北海道に日高国(日高支庁、現在、日高振興局)があります。そして、その日高国平取の地に、義経神社があります。どうも偶然とは思えず、私も調べてみました。

日高国の命名は、明治の初めに、蝦夷地探検家の松浦武四郎が名付けたそうです。それは、昔蝦夷に日高見国があったという伝承をもとに、つけたとのこと。やっぱり! なぜ松浦武四郎が、ここを日高国としたかは、想像ですが、北海道アイヌの文化の中心地だと、幕末のころから認識していたからだと思います。そして、昔東北の蝦夷が、ここに蝦夷の中心勢力が落ち着いて、いわゆる亡命政権が出来ていたと考えたのではないでしょうか。そうすると、これは、出雲から追われて信濃の国を亡命政権として樹立したタケミナカタ勢力と同じだと思いました。信濃の国も、北海道日高国も、成立のいきさつが、亡命政権なのです。

日本の歴史にも古代に、天照信仰勢力と原住民との間で闘争があったという視点で考えてみる必要がありそうですね。

(2)また、先日、お話ししたように、天照信仰が広まる前の、神様は、なんだったのかということですが、タケミナカタが来る前の原住民が信仰していた神様は、ミシャクジ神で、これは長野県を中心に、東京、神奈川から、名古屋辺りまでの分布があり、かなりまとまった勢力であったと思われます。また東北地方の古代に原住民が信仰していた神様は、アラハバキ神だというのは、たぶん間違いないと思います。では、名古屋以西は?ということになりますが、私には、銅鐸文化の出雲から近畿、淡路島、四国東部の信仰勢力、銅矛文化のもっと西の信仰勢力があったものと思います。そこへ、朝鮮半島南部の加羅任那あたりから、天照信仰勢力が南下東征してきて、自らの信仰を突然捨てることに強制されたものと思います。そのため、銅鐸が壊され地中に埋められたのだというのが私の今考えていることです。なぜ銅鐸が一気に作られなくなり地中に埋められたかというのは、きっと統一国となり征服した勢力の神を信仰するように強制されたからではないでしょうか。








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