卑弥呼は普通名詞 

信州上田之住人
太田 和親  
200397日随筆
2003922日加筆訂正

 先日、日本書紀を市立図書館で借りて読み通した。大変面白い内容で、なぜこれが現在、日本の歴史の中で殆ど取り上げられていないのか不思議であった。日本書紀は全部うその書物だと戦前言った学者がいたとの事で、それが今も災いしているのだそうだ。確かに、継体天皇以前の天皇は年齢が130歳で亡くなったとか常識で考えられないほどの長生きな人がいたりするので、疑わしいと思われるのであろう。しかし、神代の時代というか、暦も中国から入っていない時期の語り部の話を、古代王朝の書記を務めた漢人や韓人が、苦労して年代を後から付けたので矛盾があるのであろう。従って、年代は余り信用できないが、語り部が語った何代も何代も前の「おおきみ(天皇)」にまつわるエピソードは、人々の記憶に残っていた真実が含まれていたと見るべきであろう。
 さて、日本書紀を読んでいて、「おおきみ」に王子や王女が何人あったとかいう記事が何度も出てくる。「おおきみ」の子は男であれば、西洋流だと王子(prince)であるが、日本書紀には「みこ(御子・皇子)」と書かれている。では、王女(princess)であれば何と書かれているか。それは「ひめみこ(皇女)」と書かれている。つまり、「おおきみ」の子は女であれば、女の御子という意味で「ひめみこ」と言うのだ。現在使われていなくても、現代人にも直ぐ納得がいく言葉である。日本書紀には一貫して何代にもわたり、どの「おおきみ」には何人の「みこ」と何人の「ひめみこ」が生れ、その方の名を何それというと書かれ、成長して誰と結婚して次の「おおきみ」のだれだれをもうけたと続く。日本書紀は天皇家の系図としての意味もあるから、当然であろう。
 ここで、私は「ひめみこ」という言葉が、「卑弥呼(ひみこ)」とそっくりなことに気がついた。卑弥呼は日本人ならだれ一人知らぬものはいない、歴史上に出て来る有名な邪馬台国の女王である。私達は、卑弥呼を、西暦239年に魏に使いを送り親魏倭王に封じられ金印紫綬を受けた、古代の一女王と習っている。しかし、「ひみこ」は「ひめみこ」ではないか。つまり、「卑弥呼」と当時の中国語で音韻を写した名前は、単に「おおきみ」の娘の「ひめみこ」のことではないかと考えられる。よく御存知のように、中国の歴史書「三国志」(「東夷伝」の章の「魏志倭人伝」の項)に、紀元後二世紀当時の倭国は乱れて収まらず、三世紀頃邪馬台国の男の国王の後を継いだその娘の王女は、神に仕えまじないによって政治を行ったところ収まったという。その王女の名は卑弥呼というと、書かれている。この国王の娘であるという記述は、「おおきみ」の娘のことを「ひめみこ」という古代の風習が読み取れる日本書紀の記述と合う。従って、中国側の書記が普通名詞の「ひめみこ」を、固有名詞の「卑弥呼」と誤解したのであろうと推測される。日本側の使節団は、女王の名を直接呼ぶことは憚れたので、単にあの「ひめみこ」という意味で使っていたのではないかと思う。今だって、天皇の名前を人前で「ひろひと」とか「あきひと」とか呼ばないのと同じだと思う。
 以上の考察から、「卑弥呼」は固有名詞ではなく、王女(princess)という意味の「ひめみこ」という単なる普通名詞だったと考えられる。


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