塩爺(しおじい)の由来

信州上田之住人
太田 和親  
2002616-17日随筆

 ほとんどの日本国民の方は、「塩爺」というあだ名の人を知っているだろう。財務大臣(旧大蔵大臣)の塩川正十郎翁のことであるが、塩川の爺さんだから「塩爺」というのだろうと、皆漠然と想像しているに違いない。しかし「塩爺」の元祖は、何と古事記や日本書紀に載っている、おそらく2000年から2500年くらい前の大昔の昔話に、すでに登場しているのだ。塩川大臣に「塩爺」とあだ名を付けた人はきっとこのことを知っていたのだろう。日本書紀には、「塩爺」はとても面白い話に登場し、人助けをするいい老人として描かれている。皆が、絵本などで子供の頃から知っている「海幸彦と山幸彦」の物語の中に、山幸彦を助ける「塩土老翁(しおつちのおじ)」という名前で記紀には出ている。あらすじは次のようなものである。
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兄の海幸彦と弟の山幸彦は相談して、試みに、兄の釣り針と弟の弓を交換して、それぞれいつもとは逆に山と海へ獲物を獲りに行ったが、どちらも獲物を得ることが出来なかった。そこで、兄の海幸彦は弓を弟の山幸彦に返した。しかし、弟の山幸彦は、すでに借りた釣り針を海でなくしてしまっていて、探し求める方法がなかった。そこで、山幸彦は自分の大切な太刀を鋳つぶして、釣り針を作り箕に山盛りにして返したが、兄の海幸彦は、絶対に受け取らず「あの釣り針」を返せ、あれでないといけないと承知しない。弟の山幸彦は、大変心を痛め、海辺に行って、嘆き悲しんでいた。そこに、塩土老翁(しおつちのおじ)が通りがかり、「なぜそんなに悩んでいるのですか」と聞いた。答えて一部始終を話したところ、「もう心配なさいますな。私があなたのために取りはからいましょう」と言って、緻密に編んだ隙間のない竹篭を作り、山幸彦をその中に入れて海に沈めた。すると海底の美しい浜に流れ着き、海神豊玉彦の宮殿に着いた。そこで海神はこの美しい山幸彦を気に入り、自分の美しい娘の豊玉姫と結婚させ、3年間楽しく滞在させた。しかし、山幸彦はしばしば大変嘆くことがあったので、豊玉姫が「天孫(天皇の子孫という意味で山幸彦のこと)は、もしや故郷にお帰りになりたいのでは」と、尋ねた。詳しい事情を知った豊玉姫は、父の海神豊玉彦に相談した。海神はそこで海の魚どもを全て集めて、例の釣り針の行方を尋ねた。ある魚が答えて、「赤女(あかめ)という名の鯛が口を患っております。もしかしたら・・・」というので、赤女の口の中を見ると、この釣り針が見つかった。海神はこれを山幸彦に差し上げ、次に「潮溢之玉(しおみつたま)」と「潮涸之玉(しおふるたま)」の二つも奉った。・・・・(さらに面白い話がもっと続く)・・・・
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 という九州の隼人に伝わる昔話である。以上のあらすじからわかるように、「塩土老翁(しおつちのおじ)」は、山幸彦の窮地を救う決定的な役割を果たしている。
 「塩土老翁」は、親しみを込めたあだ名で本当の名前は、「事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)」といい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子(みこ)である。日本神話の伊弉諾尊は、西洋神話におけるアダムとイブのアダムに当たる。「塩土老翁(しおつちのおじ)」はその子で、「塩土(しおつち)」は「潮ツ霊(ち)」の意味であり、潮流を司る神のことである。潮路に乗って「新しい」情報を提供してくれる神なので、「老翁(おじ)」と親しみを込めて呼んだらしい。
 従って「塩爺(しおじい)」というのは、時代の新しい潮流を司り、今の日本の救世主となるという意味が込められたニックネームらしい。山幸彦の窮地のような日本の今の苦境を助けてくれるよう「塩爺」に期待するのは、私だけではないだろう。



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