チャンドラ・ボースとインパール作戦
平成31年(2019年)2月11日
平成31年(2019年)3月30日加筆
信州上田之住人和親
2019.2.7
N山 様からのメール
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チャンドラ・ボース氏と、先生の叔父様が、インド独立支援のためのインパール作戦から九死に一生を得て生還したとのお話(1)をお聞きし、つい私もまた、返信メールを書いてしまいました。
チャンドラ・ボース氏については、私も2011-3-27にインドから(日本の)本社にインドの状況報告を書きました。添付しましたのでご参照いただければ幸いです。
日本人は、インパール作戦を太平洋戦争において、最も無謀で無計画かつ悲劇的な作戦と卑下した放送をNHK等で流し続けておりますが、その精神的な意義を再認識すべきであると私はいつも思い続けています。インド人は今でもインド独立支援のために一緒に戦ってくれた唯一の同盟国としての日本に敬意と感謝を忘れず、今も各地にチャンドラ・ボース氏と日本兵の銅像を建て崇拝しています(2,3)。また、日本にカレーを最初に紹介したのは、中村屋のボース氏(ラース・ビハリ・ボース氏)でした。
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2019.2.8
私からの返信
添付の報告書ありがとうございました。インドの諺、"Delhi is still far
away", 大変興味深く拝読いたしました。このことわざを、チャンドラ・ボースも言っていたことを今回初めて知りました。
私は、戦後の教育が、アメリカの洗脳やソ連と中国の工作により、極めていびつで、愛国心が持てないような状況になっていたと常々思っています。いつか、このような私の年代のものが受けたいびつな戦後教育について、実体験をもとに詳しく書き残しておこうと思っています。
一例だけを挙げますと、小学5年6年生の担任だったH原という先生は、私たち小学生に向かって授業中に、共産党がいいとはっきりと言っていました。私はこのことを父に話すと、「絶対に信じてはいけない。あのH原という先生と、教頭のH本という先生は、共産党に染まっている。H本先生は、一ノ谷村の奨学金をもらって師範学校に行った秀才だったが、ソ連に抑留されウラル山脈の近くにまで連れて行かれ、そこで何年も赤化教育を受けて、真っ赤になって帰ってきた人だ。彼らは、ソ連が理想の国だというように洗脳されているのだ。」といわれたのを覚えています。父は、戦後も長い間、50歳になるまで丸坊主のままでいて、いつでも招集があれば国のために、外国と戦うつもりだと言っていました。丸坊主はその意思の表れでした。戦後の日本には外国から指示を受けたたくさんの日本人の工作員がいることも、当時、口にするのがほとんどタブーに近かったですが、父はちゃんと、現実を、子どもの私にも言っていました。このような工作員や共産主義者の教員に教えられたため、昭和15年から昭和25年まであたり生まれの日本人が一番、愛国心のない反日日本人になっている気がします。この世代は、もっとも学生運動が激しい時代でもありました。その後の世代は、徐々に、まともになってきていると思いますが、今も、外国からの勢力に惑わされている日本人が非常に多いことや、朝日新聞をはじめ、国営放送であるはずのNHKまでもが偏向報道をしていることは、嘆かわしい限りです。
大東亜戦争では、父たちの世代の人たちは、欧米白人の植民地となったアジアを、日本が率先して開放するんだという大義名分を信じて戦っていました。今、そのことをちゃんと言う人があまりにも少ない気がします。そのため、戦前、日本がシンガポールをイギリスから解放したり、独立を目指したチャンドラ・ボースが指揮するインド国民軍2万とともに日本軍7万8千がイギリスとインパールで戦ったりした大儀は、今の日本ではあまりかえりみられていません(2)。また、戦後もインドネシアにたくさんの日本軍人が自主的に残って、一緒にオランダからの独立戦争を戦ったことや、ベトナムでも戦後日本軍人約700人が残って、ベトナム軍に協力して、ベトナム独立のためフランスと戦っていました。このようなことなどは、もっと日本人は誇りにすべきだと思っています。その中にはベトナム人女性と結婚して妻子を持っていた日本軍人たちもいましたが、数年後に国際情勢が変わりベトナムから、単身帰国せざるを得なくなったそうです。2年前の2017年に、天皇陛下がベトナムに行幸され、そのベトナムに残され老婆(93歳)となったベトナム人妻を、慰問されました(4,5)。その老婆は、陛下に会った後、私たちは日本の国に忘れされたのではない、このように日本国の天皇陛下が今も覚えていてくれたのだとインタビューに答えていました。満足した彼女はその後1年もせずに亡くなりました。天皇陛下は、非常に良いことをされたと私は思います(6)。ベトナム独立に加勢した日本軍人のことや現地に取り残された日系ベトナム人の家族のことは、多くの日本人が忘れていることです。
戦後、父が私に言いました。外国の軍隊が、日本に駐留している限り、真の独立国ではない。自分の国を自分の力で守れないようでは、属国である。赤化思想の教員が言うことは間違っている。
最近、私よりも年が少し若い人たちから、百田さんのような人たちが、このようなことを声を上げれるようになったことは大変良いことだと、私は思っています。
ただ、叔父が参加したインパール作戦は、兵站にあまりにも計画性がなく悲惨で人肉を食うようなことまで起って敗走しなければならなかったのは、牟田口中将のやはり責任だと私は思います。インパール作戦の大義は、間違っていないし、インドがイギリスから独立する戦いを日本が支援したことは、同じアジア人として誇るべきことです。ただ、兵站を軽視したずさんな作戦計画が多くの将兵を苦しめました。NHKはこのことだけを取り上げ、インド独立を支援した大義について全く触れないのは問題だと、私も思います。
さて、私がインドに出発するまでに、わずかとなってきましたので、これから、具体的な準備を整えていこうと思います。元気で行ってきます。帰りましたら、また、お話ししたいです。
参考文献
(1) http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/war7.htm
(2) ISBN-13: 978-4569826103
(3) http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/india1.htm
(4) 午前0時00分(70分) (NHK BS1)遥(はる)かなる父の国へ「ベトナム残留日本兵家族の旅」2018年4月15日(日)
(5) https://hanada-plus.jp/posts/654
(6) 日経新聞平成31年(2019年)3月30日46頁