日本の運動会の起源はフランスのféte du village

2018年929日 随筆
信州上田之住人 太田和親

フランス語の教科書Mauger Blue Iの第62Féte du village(村祭り)を読んでいて、大変楽しかった。これを読んでいてハタと気が付いた、これって、日本の運動会にそっくりじゃないかと。このお祭りに出てくる場面や競技が、なんだか、私が子供のころの、55年くらい前、昭和30年代の小学校の運動会にそっくりなのだ。

フランスのFéte du villageでは、村の広場に、老若男女の村人が集まる。朝早くは消防団のパレードがあり、広場では、消防の競技なんかもある。この演習競技は消防訓練を題材にしたようだ。日本でも、私の子供のころは、消防団の若者が、大口径の重いホースをわきに抱えて走り、誰れが一番早くゴールするかという競技があった。中にダントツに早い若者がいて、村人が、あいつがいれば火事になっても安心だなどと言っていたのを思い出す。また、フランスの村祭りでは、子どもたちが袋の中に入ってぴょんぴょんしながらゴールまで走る競技、course en sacがある。袋に入っているので走れないからピョンピョン跳ねるしかなく、相当に体力がないと途中でこけたり、動けなくなったりする。これ、日本のムカデ競争に趣旨がそっくりである。U-tubeで見ると、めちゃくちゃ面白い。Course en sacは大人もやっていたようで、122年前の1896年の映像が残っている: < https://www.youtube.com/watch?v=dA-Cz4Apa8U>。これ、笑える。この競技、フランスを中心に今も人気のようだ。また、高い棒の先に、お宝をつないでおいて、この棒を登ってこれらのお宝を外して、獲得する競技、mât de cocagne(楽しみの帆柱:宝棒)も、人気だ。お宝として、ハムの塊、ソーセージ、瓶詰ワインなどがぶら下がっている。ちょっと、日本のパン食い競争みたいな意味合いがあるようだ。他にも、いろんな競技があって、見物人も涙が出るほど笑えるので、村中の人が楽しめることがわかる。

 このMauger Blue Iの第62Féte du village(村祭り)を読んでいて、私は日本の運動会にそっくりじゃないか!ひょっとして、日本の運動会の起源は、フランスのféte du villageかと、ハタと気が付いた。そこで、ネットで、「日本の運動会の起源はフランスのféte du villageか」というキーワードで調べたところ、大変面白い記事にあたった。

(1)<http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196956>

この記事の文献引用の一つに、「スポーツの百科事典 p.66,67,260運動会 p.66-67最初の運動会は、1868(慶応4)年、幕府の横須賀製鉄所でフランス人と日本人の技術者・職工がおこなったものである。 と記述あり。競技内容にも触れている。」とあった。おお、やっぱり、フランスからだ!

(2)< https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c971790179f5703e84236ff32c934e4a>

この記事の中に、次のような記述があった。

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運動会の起源ということでは、1868815日(慶応4627日)、横須賀製鉄所で開催したものが指摘されている。岸野雄三他編『近代体育スポーツ史年表』では、これを「日本最初の洋式運動会」としているそうだ(※5)。

以下横須賀市のHP「横須賀製鉄所(造船所)特集ページ」(※6:)には、「横須賀製鉄所」(後の横須賀海軍工廠)は、フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーの指導により建設されものだが、1868 年、フランス人技師らと日本人の職工が親睦を図るために様々な競技をする運動会を行っていたようで、同造船所建設の土木事業に現場責任者の一人として従事していた堤磯右衛門が『懐中覚』という日記にその様子を書き記しているところによると、綱渡り、帆柱のぼり、さらに袋に両足を入れてピョンピョンと跳んで走る競技、そして相撲などの競技が行われていた。また、このなかで、「走馬競(そうばけい)」という、馬を走らせながら、つるされた輪に木製のくぎを通すという、日本の流鏑馬(やぶさめ)に似た競技も行われていたそう.だ。後にこの「走馬競」は、2003年ヴェルニー公園で再現されているという(同HPにリンクの小冊子「ヴェルニーと横須賀」参照)。

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この堤磯右衛門が書き残した慶応4年のフランス人技師と日本人職工が行った競技の種目に、「帆柱のぼり、袋に両足を入れてピョンピョンと跳んで走る競技」というのは、私が現在読んでいるフランス語の教科書Mauger Blue Iの第62Féte du village(村祭り)に出てくる、mât de cocagne(楽しみのマスト:宝棒)とcourse en sacそのものである。

 以上の例を見て、私は、「日本の運動会の起源はフランスのféte du village」だと確信した次第である。運動会は、現在日本独自のものと言われているが、幕末にフランスからの輸入で始まったと考えて間違いなさそうである。



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