香川県柞田村と叔父高嶋四郎の話 

平成28年(2016年)1015日随筆

信州上田之住人(香川県出身)太田和親

  

先日の108日に、香川県観音寺市柞田町の国道で、「ちょうさ」に愛媛県の大型トレーラが突っ込んで、一人がなくなられ大勢の方がけがをしたと全国ニュースで見ました。

「ちょうさ」というのは、瀬戸内海沿岸地方特有の太鼓台と他称されるおまつりのおみこしみたいなものですが、正確にはおみこしでも、岸和田のだんじりでもありません。新居浜の「ちょうさ」が有名ですが、瀬戸内地方の大阪、兵庫、香川、愛媛で広く分布し、秋祭りに神社の前に、各地の氏子集団それぞれ華やかに飾った「ちょうさ」が集合して、それは壮大で勇壮なお祭りです。なにしろ、「ちょうさ」1台が2トンから3トンくらいあるのを、前後30人から50人ずつ、合計60人から100人くらいで担ぎあげるのです。大阪の国立民族博物館の中にも、かき棒を半分に切って前後を短縮したのが展示されています。かき棒(担ぐ太い柱のこと)の周りに60人から100人くらいの人がついて、一緒に移動している、そんなところへ、大型のトレーラが突っ込んだのですから、大惨事になり、全国ニュースになったのだと思います。氏子で学校の教員の方が1名亡くなったとのことで御冥福を祈ります。

さて、ところで皆さん、柞田って読めます?「さくた」ではありません。「くにた」と読みます。この柞田で、亡母から聞いた約90年くらい前の話を思い出しました。昭和のごく初め頃の話だと思います。母は農家の7人兄弟の一番上でしたが、その母が尋常小学校の高学年の頃、弟の高嶋四郎は、小学校に入ったころから、器用で電気工作に熱中して、鉱石ラジオなどを小学生なのに作ったりしていたそうです。四郎がまだ小学校の低学年なのに、観音寺の町で売っているラジオの部品を買いたくて、父親にお金をねだってもらい、一人で歩いて4キロほどの道を、三豊郡古川村(現観音寺市古川町)から、三豊郡観音寺町(現観音寺市市街地)の電気屋さんまで買い物に行ったそうです。しかし、夕方になっても帰ってこず、家族のものは大変心配していたところ、暗くなってから、四郎は泣きながらようやく帰ってきました。泣きながら言うには、道に迷って、「さくた村」まで行ってしまったとのことでした。一瞬、父親(私の祖父)は、怪訝な顔をしたあと大笑いして、そうか、それは大変だったな、でも四郎あれは「くにた村」と読むんだよと言ったそうです。柞田は、今の大人だって読めないなあ、と私が子供のころの50年くらい前に母から聞いたのを、全国ニュースを聞いて、ひさびさに思い出したわけです。

この四郎叔父さんはのちに、観音寺市本大町で、電気屋さんになりました。



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