満洲からの引揚者への共感

 

平成23年(2011年)219日随筆

平成25年(2013年)12日修正加筆

信州上田之住人太田和親

 

 私は昭和27年生まれで、今年5月で59歳になる。昔を懐かしむ年齢になったのだろうか。2年前から、同じ高校の同級生が立ち上げたブログに顔を出し投稿するようになった。皆40年前に卒業した当時を懐かしんでいる。40年と言えば、若い人にとっては相当な年月であるが、私の年になるとあっというまに、丸で昨日のことのように思い出せるのだ。最近のことは何でも忘れてしまうのに、40年前のことは鮮やかに思い出せるのだ。子供も家から出て行き、くたびれた夫婦2人になって、後ろを振り返る年齢になったということだろう。

 私は、両親が満州からの引揚者で7人目の子どもの末っ子だから、時代感覚が同世代の長男長女の同級生と丸で違う。なかにし礼さんの「赤い月」に出てくる話に共感して泣けるのだ。杉田二郎が「戦争を知らない子供たち」と歌ってヒットしたのは、私たちの年齢よりも5歳くらい上の人達までの共感からであろう。しかし私の兄達のうち2人は満州生まれだし、そのうち長兄は昭和15年生まれ、次兄は昭和18年生まれである。私は父母や兄達から昔の話をよく聞いて育ったので、4歳年下の妻には、私は丸で1世代前、つまり30歳くらい年上の人のようだとよく言われるのだ。因に妻は長女で昭和31年、東京の荒川区の生まれである。「お化け煙突」の近くで育った。そうだ、お化け煙突だって、今の若い人にはわからないだろう。今建設中の東京スカイツリーのあたりである。東京スカイツリーはあのお化け煙突のイメージをもとにした設計になっているそうだ。10年は一昔というから、40年も前というのはほとんど、歴史上のことのような感じになる。でも私には、父母や長兄や次兄の経験の話が丸で自分の体験のように感じるので、40年前どころか60年も70年も前の戦前の父母や長兄などの満州時代の話や戦争体験は全く自分のことのように思うのだ。だから、中国残留孤児の話や満州時代を主題に据えたなかにし礼さんの小説には非常に共感する。「赤い月」、「戦場のニーナ」、これらの話には涙を禁じ得ない。妻は私に「貴方はそういうことに共感出来る最後の人だろう」と言う。そうかも知れない。

 満州のことを本当に良く考える。実際には行ったこともないのにだ。満州は独立国家だと日本は主張していたが、パスポートもなく日本から自由に行けたので、明らかに日本の植民地あるいは保護国であろう。最近、26歳の息子に勧められて、角田光代の「ツリーハウス」という本を呼んだ。満州時代に結婚した祖父母、満州で生まれた子供と引き揚げ後日本で生まれた子供、そしてその孫達の一家三代の話である。架空のお話ではあるが、私の一家の話を書いているのかと思った。年齢構成や時代背景がそっくりなのだ。

 なかにし礼や角田光代の小説を読んでいて気づいたことがある。私は、いつも、どこにも属している場所がない人間だと無意識に思っていたことだ。引き揚げて来た父母は郷里では、実家からわずかに10kmしか離れていないところで家を買って住んだが、地元の人々からはいつもよそ者と見られていたし、私たち子供達も、何か地元の人々にとけ込めなかった。いつもよそ者と見られていたからだと今になって思う。なかにし礼や角田光代の小説の登場人物が、いつも抱いている感覚、「デラシネ(根無し草)」。そうだ、私の兄弟の皆が無意識に感じていたのは、これだと思った。

 皆さんは、小栗康平監督の映画「泥の河」を見たことがあるだろうか。大阪の郭(くるわ)舟で生活をする少年と陸で生活する少年の友情の物語であるが、船上生活者の少年が歌った軍歌は、私が小さい頃よく3つ年上の三兄と歌ったものだった。「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友はのづえの石の下」。ああ、「泥の河」の少年たちは、私たちだと思った。

 数ヶ月前、NHKの番組で「ファミリーヒストリー」というのを見た。漫才師の宮川大助花子の大助さんの方の「ファミリーヒストリー」である。大助さんは、確か昭和22年か24年の戦後生まれであるが、上の2人のお姉さんとお兄さんは戦前朝鮮の清津あたりの満鮮国境に近いところで生まれて住んでいた。敗戦となり満鮮国境を越えて満州側に日本人は集団で逃げた。しかし、父母と子供2人がどうしても一緒には行けず、子供の姉と弟の2人だけをトラックに乗せて先に行かせた。親子バラバラになってしまい、奉天かどこかの日本人収容所で再会するまで、父母は焦燥の思いに駆られた。小さな弟を連れた姉もわずか10歳やそこらである。逃避行で辛酸をなめた。その姉は戦後工業高校を出て、就職したが不本意な職場に就いたため、若くして鉄道自殺してしまった。父は、娘の無念を思い、急速に老け込んでしまった。ああ、うちの家族と同じような経験をしたんだと大助さんに共感を覚えた。大助さんの妻の花子さんと漫才師を目指している娘さんが、大助さんがインタビューで泣いているのを、舞台の袖で見て2人とも泣いていた。歴史に翻弄された家族の涙を見て、私も共感して泣いた。



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