老母の「みずは」
信州上田之住人
太田 和親
2005年9月16日随筆
最近、「今昔物語集」を読んでいて「みずは」という言葉があることを初めて知った。巻第十二第三十二話に次の様な和歌が載っている。
みづはさす やそじあまりの おひのなみ くらげのほねに あふぞうれしき
美豆波左須 夜曾知阿末利乃 於比乃奈美 久良介乃保禰尓 阿布曾宇礼志岐
(増賀聖人の和歌)
その注釈によれば、
「みづは」は「瑞歯」で、老後再び生える歯のこと。「八十路」の枕詞とも、老齢、長寿の形容ともいわれる。「くらげのほねにあふ」はありえないことに出会うのたとえ。
従って上の歌は、現代風に書き直すと、
瑞歯さす 八十路余りの 老いの波 クラゲの骨に あうぞ嬉しき
となるだろう。
この歌を読んで私は、今年の正月二十六日に数えの九十才で亡くなった老母の、生前のあるエピソードを思い出した。郷里讃岐の私の母は、八十才を越えたころ、歯がいたくなってどうしようもなくうずくので、同居している私の次兄、つまり母の二番目の息子に、歯医者に連れて行ってもらった。すると、老人にもかかわらず何と新品の奥歯が一本生えてきているのを、この歯医者が見つけて大変珍しいことだと驚いた。普通、人は乳歯→永久歯と二回生え変わるが、極く稀に、大変な老人になって三回目の生え変わりがある人もあるのだという。滅多にないことで、その歯医者も初めて見たと言っていたという。そこで老母は歯医者から帰って来て、ひ孫に「ひい祖母ちゃんも、歯が生えてきたよ!」と自慢した。これが、上の今昔物語の言う「瑞歯」と呼ばれる歯であることを、今になって私は初めて知った。
「瑞歯」は滅多に生えないものなので、クラゲに骨が生えるようなものだ。だから、増賀聖人は「くらげのほねにあふぞうれしき」と、和歌に詠んだのだと思う。私が市立図書館から借りてきて読んだ今昔物語集の現代語訳は、「八十あまりの老いをむかえ、うれしいことに今にして会いがたいこのしあわせに会いえたことよ」となっている。この訳には「みずは」のことが全く触れられておらず、「瑞歯」が生えた感動が伝わって来ない。訳者は、私の母のような実例を知らなかったからなのだろう。
この老母も今はなく、遠く異郷に住んで三十五年になる私は、秋の夜「今昔物語集」を読みながら、一人、老母の「みずは」のエピソードをしみじみと思い出し、本を手にした袖に涙がこぼれた。