聞こえよがし

信州上田之住人
太田 和親  
随筆 20001126

 凸山さんに2ヶ月ぶりに頭を刈ってもらいながら、民生委員の話を聞かせてもらった。凹田自治会では3年の任期で、民生児童委員、略して民生委員が2人選ばれるそうだ。凸山さんはその一人で、ようやく2年の任期を終えたので、後1年したらやめさせてもらいたいという。

 民生保護法という法律があり、これまでの法律では、民生委員というのは名誉職と定義されていたそうだ。しかし今度の法律改正で、名誉職という言葉が、世間一般にはわかりづらいので削除された。民生委員に選ばれた凸山さんには、この法律の条文のコピーが就任時に配られたので、名誉職という意味はこれを読んで知っているが、世間一般にはちゃんとしたことはわからないでしょうねという。その通りである。名誉職とは、公務員と同じように仕事をしながら給与はなく、無報酬である。そして、公的な権利及び保護はない。たとえば、近所で家庭内暴力があり、駆けつけて暴れている息子に刺されて死んだとしても、それは大変お気の毒のことでしたというだけで終わりなのだそうだ。従って、なかなかなり手はいないのだという。そりゃあ、名誉職と言われたってなりたくない。今度の改正では、無報酬であることを条文中に明記し、一般の理解を得やすいようにしたらしい。

 凹田で、敬老の日には市からの祝い金を、民生委員2人が500軒のうち半分の地区をそれぞれ1人が分担して、70歳以上の方に、一軒一軒回って配る。一昨年は80件ほど有ったのだそうだ。しかし今年は、喜寿の77歳、米寿の88歳、白寿の99歳のような節目の年齢の老人だけに配ることにしたそうだ。老人が増えて市も経費節減を考えたのだろう。昨年までは1人に約7000円くらいだったのだそうだが、今年は白寿の人で3万円くらいだったそうだ。民生委員は、このお金を配るのに、本当に色んなことがあるのだそうだ。ある老夫婦が、今年も昨年通り、2人してお祝い金をもらえると思って玄関に座って待っているのに、一方にしかお祝い金を手渡すことが出来ない。市の方針転換とはいえ、手渡すときに大変気苦労があった。自分は自治会の役目で来ているだけなのだが、自分が方針転換したようで、説明には気を使った。

 民生委員はその他に、一人暮らしの老人などを時々訪ねて、「安否の確認」ということをやらなければならない。何も特別用事はないのだが、時々訪ねていく。

「その時、丁寧に、『お役目ご苦労様です。毎日元気にしておりますので、・・・。』と言ってくれたら、また行こうかと思うけど、『誰ぇ?ああ、凸山さんかい。何か用?』民生委員ですので、時々、お元気な様子を見に来ております。『昼寝しているのに、人が来ちゃ、出て行かなきゃいけないし・・・。用があったら、こっちから電話するから!』などと言われると、何となく今度から立ち寄りたくなくなりますよ。でもね、この人、敬老の日の祝い金のときには、ニコニコしてね、『ありがとうございました。』なんて言うんですよ。そりゃあ本当に現金だ。このことを、もう一人の民生委員の人に話したら、」

「凸山さん、あんたまだいいよ。私が、お祝い金を届けた中には、私が玄関を閉めて出るかでないうちに、『ちぇ、これぽっちもらっただけじゃ、孫にくれてやったって喜びゃあしない。』って、聞こえよがしに言うんですよ。本当に私がいなくなってから言えばいいのにねぇ。」

民生委員は市の職員でもなく、自ら進んでなった人でもない。そのあたりの事情をわかっていない老人には、名誉職とはいえ民生委員は、がっかりさせられることが多いらしい。

 凸山さんからこの話を聞いて、最近私の職場であったことを思い出した。私は地方の大学で約20年教官をしているが、この10数年間にわたる継続的定員削減により、教官、特に若手の助手や教室付けの技官や事務官が大幅に減らされてしまった。学生の数は2倍になったが、教職員は半減したと言ってよい。このような状況なので、事務方も以前に比べて極めて多忙になり、今まで自分たちがやっていたことも出来るだけ教官に押しつけようとする行為が目立ってきたように思える。また正規の職員が雇えないので1年契約の臨時雇用者で仕事をこなすようになってきている。教官も、教室や研究室に学生があふれているから、毎日極めて多忙になっている。一般の方が想像するよりもはるかに今時の大学の教官は多忙である。残業手当が一切出ないにも関わらず、特に理科工科系大学の教官は長時間労働をしているという現状がある。従って、独身と離婚が他の職場に比べて多いように思える。

 話が横道にそれてしまったが、もとの話に戻る。先日の朝、臨時雇用の20代の若い女子事務官から、忙しい教官の私に、書類にはんこが欲しいので持って来て欲しいとの電話がかかってきた。ちょっと、むっとしたが押さえた。今までなら、自分で取りに来たのにどうして取りに来ないのだろうと思いながら、そうだ、私の属している建物付きの事務官にはんこを手渡して、ついでの時に持って行って下さいと頼もうと思いついた。電話を終えて、早速4階から1階まではんこを持って降りていったら、1階の部屋に事務官は、あいにく、いなかった。そこでわざわざ靴に履き替えてこの建物から別の本部の建物まで、自らはんこを持って行った。そして、はんこを押してもらって、私がドアを出るかでないうちに、後ろの方で事務官同士が、まるで聞こえよがしのように、「うふふ、持って来てもらちゃった。」と笑う声が聞こえた。私は引き返して怒鳴ってやろうかと思ったが大人げないので何も言わずにドアを出た。しかし、後で行き場のない怒りがこみ上げてきた。

 この事件を、今日の凸山さんに頭を刈ってもらいながら聞いた民生委員の苦労話と、重ね合わせなながら思い出した次第である。

 以上の教訓:聞こえよがしにに言うべからず。あなたの人格を疑われる。




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