大橋巨泉の「こんなものいらない」という番組の思い出

信州上田之住人
太田 和親  
随筆2001623

  最近、日本の大学生の学力低下が著しいと、どこの大学の先生も異口同音におっしゃる。基礎学力が不足したまま大学に入ってくるからで、大学の教育についていけないのである。高校までの基礎学力が身に付いていないからだと、盛んに大学の先生が言っても、文部省(文部科学省)の官僚は、そんなことはないなどと反論しているが、現場を知らないからだろう。この10年、一流大学と言われる所からそれなりの所までいずれのレベルの大学の先生に聞いても、今の大学生は自分で全くものを考えないという傾向が著しく、これでは日本の将来が危ないのではないかと心配している大学の先生方が大半である。大学教育に携わっている教官の一般認識として、バブルが崩壊した1992?3年頃から多くの大学の先生が実感として学力低下を感じている。これは、高校で社会と理科が選択制となり、世界史を知らない文科系の学生や物理を知らない理科系の学生が入学してくるようになってからである。それらの学生がだいたい1992?3年頃から大学4年生となり、卒論や卒業研究を指導した教官の実感と符合する。
 
 また、高校で基礎科目を勉強してこなかったこれらの学生に、さらに不幸なことに、この時期に全ての大学で一般教育課程が廃止され、基礎科目を責任を持って教育し直す手だてがなくなってしまっていた。
 それまでの大学の一般教育はとかく批判があって、大橋巨泉の「こんなものいらない」という当時の人気番組で、一般教育課程がやり玉に挙がってからなくなった。大橋巨泉は、自分は早稲田大学の新聞学科に入ったのに、一般教育課程で化学を習わなければならなかった。自分には全く無駄な勉強なのに、この単位を取らないと専門教育課程にすすめなかった。文科系の学生に「こんなものいらない。」というものであった。私はこの番組を実際に見て覚えている。
 そのころは、高校で社会5教科(地理、日本史、世界史、倫理、政治経済)、理科4教科(生物、化学、物理、地学)が必修であったので、一般教育でもう一度これらをやるというのは無駄だったのかもしれない。しかし、1980年代の終わりに高校では社会2科目、理科2科目(生物と化学、化学と物理という組み合わせ以外とれない高校が多い)の選択制になり、選択科目以外は勉強してこなくなった。高校の化学の先生の数も選択する生徒の数に合わせて半分になったり、また、地学などの選択する生徒がいない科目の先生は職を失ってしまったりして、今は元に戻すにも担当教師がいないと言うのが現状である。
 同時期に、一般教養課程も全国の大学から、文部省の指導により廃止されてしまった。大学生の学力低下は、「高校での選択制」と「大学での一般教養課程廃止」を同時に行った、文部省の行政の失敗ではないかと思う。大橋巨泉は罪作りなことをしてしまった。




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