信州大学今年2005年の動き
独立行政法人化2年目の状況

2005923-25
信州上田之住人和親

 今年6月頃、まだ信州大学のほとんどの教員が知らないのに、いち早く、出入りの業者が私のところに駆けつけて、衝撃的なことを言った。

「先生どうするの?理学部に行っても、工学部に行っても、繊維学部に来ても、信州大はどこも、今年教官1人当たりの校費が、年間5万円というじゃないですか。先生、そんなんじゃ研究室つぶれるよ。」

「えっ、ほんと?校費が5万円じゃ、何も買えないよ。私は、11人の学生・院生がいるから、学生1人当たり研究費がだいたい30万円はかかる。だから、年間約300万円は研究費としてどうしてもいる。校費が5万円じゃ、研究できないよ。それ全部外部資金でやれいうこと?私みたいに外部資金を稼ぐほうでも、そりゃ、大変だ。外部資金だけだとあと1年間しか持たない。学外の会社もそうそう毎年お金はくれないからねぇ・・・。校費1人5万円じゃ、みんな近いうちに研究室つぶれるね。」

「先生は学外の会社から沢山稼いでるの知ってるから、まだ先生のところへは、薬品や物品を持ってくるけど、稼げない先生のところには、私達業者は、持ってこないよ。こっちも商売だから、代金払えない先生方には、もの持ってこない。赤字で持って来ても、後で払ってもらえる見込みが、全くないような先生のところには、危なくて持ってこられないよ。信州大学、どうするの。つぶれるよ。」

「そうだよね。校費が5万円で誰も御満悦の教員はいないよね。」

「先生、うまい事言うね。でも来年もこんなふうに私と冗談言えるように、稼いでね。」

「金の切れ目が、縁の切れ目か?」

「そうですよ!こっちも商売だからね。」

「国立大学は、国の費用で全部やっているなんて、もううそだね。先生がそとから外部資金を稼がないと、研究室の研究はもう出来ないということだね。学生や院生がかわいそうだ。国がもうほとんど学生の研究教育費出さないんだから。校費が学生1人当たり5千円足らずなんて信じられないよね。国民は皆んな国立大学は全部国の費用でやっていると思っているだろうけどね。独立行政法人化されてから、ますます研究費ひどくなるね。有名私立大学の方がいいね。立命館の理工学部の先生に聞いたら、研究室に25人学生院生がいて、年間600万円研究費として来るって言っていた。うちの2倍人数がいるから600万円って、だいたい年間必要な消耗品代だよね。」

「先生、ここやめて他所に行ったら。」

「・・・・」

 そして、一月ほどした7月12日には正式に、学科の会議で学科長から今年の校費、つまり教員研究費と学生実験実習費の合計は、1人当たり約5万円になると発表された。そこで聞いていた教員は、そんなのでは、研究室の運営が出来ないと口々に文句が出た。どうして、5万円になるのか、その根拠を学科長に問いただした。しかし、学科長も、困った顔して、

「上で決まったことなので、私は皆さんに伝えているだけです。」

と言うばかりであった。

 実際200441日より信州大学が、独立行政法人国立大学となってからは、学科長も又その上の学部長も全て権限が無くなり、運営上の重要な決定は全て学長と一握りの理事によって行われる事になった。それで、どうしてそのような決定がされたのか上から説明がないと、詳しい経緯とか根拠とかは判らないことになってしまった。信州大学は、御存知のように広い長野県に5つのキャンパスに分散するタコ足大学なので、繊維学部は上田市に孤立している。松本市で本部の学長と理事の間で行われる会議には、繊維学部出身の理事としてS教授だけしか出ていない。しかしS理事は、繊維学部の教員会議にも学科会議にも、理事になってから全然出席されないので、詳しいことが繊維学部の教員にはわからない。新しい制度でよくわからないのだが、理事になると、繊維学部の教授の籍があっても、所属の学科会議や学部の教員会議に出なくても良いのだろうか?上田キャンパスではS教授以外、詳しいことを知らないので、学科長も学部長も上で決まったからと、教員に一方的に言うばかりなのである。それで、この科内会議ではそれ以上聞いても、学科長も気の毒だという雰囲気で、科内会議は終った。独立行政法人化後はもう学科長も学部長も単なるメッセンジャーボーイとなっていることを思い知らされた。

 独法化前の教官会議(=教授会)では、教授会が小田原評定をして何事も足の引っ張り合いになり改革が進行しない、学長に権限がないからだという世間一般の批判はその通りであった。そこで国立大学の改革は強大な外圧があってからでないと、ほとんど抜本的な自己改革が出来ないでいた。だから小泉内閣の決定という外圧から、全国の国立大学は200441日から独法化された。学長が、教授会に遠慮することなく大きな権力を掌握して力を発揮できるようにするため、制度が大きく改革された。これは時代の流れに沿った良いことだと思う。しかし、独法化後は、教官から教員という名前になった一般の教員や学科長、はては各学部のいわゆる重役の評議員や学部長にさえ、全く何も説明がないまま一方的に重要な決定が告げられるのだ。教員1人当たり、1年間の校費が5万円などという重要決定が、僅かの一握りの学長と理事だけで決められてしまう。このような死活問題を全く詳しい説明なしに告知するやり方になっている。また、学科長や学部長がそのような理事会の決定に対して意見を言う場も設定されていない。だから学科長も、困った顔して、「上で決まったことなので、私は皆さんに伝えているだけです。」と言うばかりでなのである。これでは、あまりにも行きすぎた制度になってしまったと思うが、皆さんはどう思うだろうか。

 ここ数年の国立大学の風潮として、このように、研究費(=校費)はどんどん下げて、外部から稼いで来いという。そして、論文よりも特許を書けという。つまり金になる仕事をしろ、そして自分で稼げという。国に金がなく時代の流れただから、仕方がないのかも知れない。しかし、新しい制度に多くの矛盾がある。例えばその特許取得奨励である。

 先ず、比較のため二三年前の法律改正までの実情を述べてみる。それまで大学では特許はほとんどが教員個人で申請するように言われていた。しかし、一件当たり二三十万円の申請費用や約三百万円もかかる特許維持費用がない教員は、個人で特許申請して維持することはまず不可能であった。そこで、知り合いの外部の会社に、その申請費用と特許維持費用を全額持ってもらって特許申請していた。御存知と思うが、特許は、発明者にはほとんど権利はなく、申請者が権利保有者となる。ここでは教員は発明者として名を連ねるだけで、権利者はその会社がなっていた。権利者の会社は、将来その特許から得られるであろう収入がメリットとして残る。ここで注意したいのは、特許は千に三つか百に一つくらいしか本当は儲かるものではなく、一つ出せば儲かるというものではない。しかし、特許は、将来何が本当に当たるかわからないので、当面儲からない特許も維持していく必要がある。そのためは、大資本が必要で個人には無理である。だからそのリスクを資本のある会社の方が負っていたのである。教員の方は、儲かるかも知れない特許をただであげるようなデメリットがあっても、その代償として会社から特許一件当たり平均100万円ほどの奨学寄付金を研究室に入れてもらえるというメリットがあった。少ない研究費を補えるということで大変助かっていた。お互いに持ちつ持たれつの関係であったのだ。このようなことが、全国的に行われていた。全国の国立大学で、奨学寄付金の総額が、法律改正前には年間300億円くらいあった。その奨学寄付金の全てが特許の見返りとしてもらっていたとは考えられないが、単純に計算してもこの300億円割る100万円/件で3万件、つまり3万件くらいの数の特許が、1年間に国立大学から会社に渡っていたと考えられる。一方、それまで全国の国立大学が大学独自で申請した国有特許が年間合計でわずか4件ほどしかなかった。それで、日本の平成の大不況はこのような日本の国立大学の創造性のなさから来ているとマスコミに大いにたたかれていた。しかし、それは実情の知らない人の言う事であった。上に述べたような会社から申請してもらった特許には、教員の氏名は発明者として載るが、発明者は現住所しか書かれず大学名は載らない。そのかわり、申請者つまり権利者の会社名とその住所しか載らない。それで、実情を知らない人には、権利者の記載されている会社名と住所から、発明者の教員が丸で会社の社員のように映ってしまう。このような関係は教員にも会社にも少し後ろめたいものがあり、「年間合計でわずか4件しかない」という批判に対し、「裏で3万件は出ている」とは誰もマスコミに面と向かって反論した人はいなかった。良い悪いは別にして、二十世紀末までの日本の国立大学と会社の関係はこのようなものであったといえる。

 次に、二三年前の法律改正後の実情を述べる。信州大学の教員の給料は、ここ2年毎年年間二三十万円ずつ下げらている。これも詳しいことはわからないが、どうも信州大学では後三年すると退職金が払えなくなるので、現在の給料を下げざるを得ないらしい。給料も毎年下げ、研究費(=校費)は子供の小遣くらいしか渡さずに、研究費は全て外部から稼いで来い。良い研究をして、論文よりも特許を書けという。つまり金になる仕事をしろ、そして自分で稼げという。国に金がなく時代の流れただから、仕方がないのかも知れない。しかし、その特許取得奨励であるが、法律改正後の新しい制度に多くの矛盾がある。法律改正後の国立大学では、特許は教員の発明であっても全て学長が権利者となることになった。私のように会社で研究職を経験している人はわかるだろうが、特許は、発明者にはほとんど権利はなく、申請者が権利保有者となるのだ。だから、現在の状況を端的に言えば、学長は教員に研究費はほとんど渡さないのに、特許で儲かったらそれは学長のものと言っているのに等しい。昨今、特許で多の会社が社員から訴えられている。それは、会社が社員の研究員に給料も十分渡し、研究設備も整え、研究費を十分注ぎ込んでいても、訴えられているのだ。自分のアイデアがなければこの特許は成立していないという主張が昨今裁判で多く認められている。一方、独立法人化後の国立大学では、教員の給与も毎年下げ、研究設備費も研究費も自分で外部から調達して来いと言い、特許で儲かったら学長のものと言う。その根拠は、独立法人化後は、全ての教員は事業者たる学長に雇われた研究員であり、研究は学長による業務命令により行われているという原則になった。したがって、業務命令で行われた成果は当然事業主の学長のものであるからである。しかし、その前提になる研究費も設備費も自分で稼いで来いというのは、会社と比べておかしいのではないか。また、会社では社長はやらせているので当然社員の研究テーマを知っているが、大学では学長は個々の教員の研究テーマをほとんど知らない。それでも業務命令だといえるだろうか。このように、雇用者である教員を、学長が給料や研究費で十分養わないでその儲けだけを頂くなどと言っていて、その大学が存続できるだろうか。研究のアイデアも研究費も教員の稼ぎでまかない、儲かったら学長や大学のものだという。ひどい話である。会社なら遅かれ早かれ社員が逃げ出してしまうだろう。

 また、今年4月からは、教員が学外の会社と自由に研究の情報交換やサンプルの交換をしてはいけないと通達された。学部長や学長の許可なく、学外に個人的に研究情報を漏らせば処罰するというのである。全て事前に学部長か学長を通して行えという。国立大学も儲けないと生きていけないので、今までのように会社の人が菓子折一箱持って来て、話を聞いて帰るというのは、原則禁止ということになった。このような情報交換の禁止や、上に述べた特許の大学法人への全面帰属は、今までの教員の研究活動を不自由なものにし、会社から大学研究者への奨学寄付金の減少を招いている。そのため会社から研究費を稼ぎにくくしており、研究を熱心にやっている教員をますます苦しめる結果となっている。今までの独立行政法人化前の国立大学の教官は国家公務員で、会社の研究者から研究上の質問を受けたら、できる限り相談に乗ってあげ親切に質問に答えていた。しかし、独立行政法人化後の国立大学の教員は非公務員となり、研究上の質問をされたとき、学部長や学長の許可なく、学外に個人的に研究情報を漏らせば処罰されてしまう。これは、大学自身が儲けるための、自己防衛ということからであろう。会社間なら当然と言えるが、そんなことを厳密にやっていては、本来の大学の存在意義にはそぐわないと思うが、皆さんはどう考えるだろうか。大学の存在意義である公共性を捨てるのだろうか。このため教員も会社の研究者も非常に情報交換しにくくなっている。その結果、教員は会社から研究費を稼ぐことが大変難しくなって来ている。

 それでも、私は一生懸命何とか学外の会社から研究費を稼ぎ、研究室に11人いる学生・院生の研究教育を維持していこうとしている。教官研究費という名前で配分される校費や、学外の会社からの奨学寄付金は、実際は、研究室で教官が使っているのではなく主に学生・院生が実験したり文献を収集する費用にほとんど全て使われている。一般の多くの人が、教官研究費は教育の合間に教員の趣味で研究している研究の費用だと、思っているらしいが、実際は、学生や院生の研究指導のためにほぼ100%使われている。それなのに研究室に学生・院生が11人もいる教員1人に5万円しか配らないという。ほとんどゼロになったと言ってよい。因にこの教官研究費は、34年前までは助教授の私一人年間、約120万円、2年前は90万円、1年前は63万円、今年は5万円と急激に下ってきた。これは学長と理事が決めたことで、反論すべき手段もないので決定を受け入れて、自分1人で何とか11人の学生院生の研究教育費300万円を稼がなければならない。しかし苦労して教員個人が学外から稼いできた研究資金を、学生や院生に野放図に無駄遣いされてはたまらない。学生院生には研究費で苦労させたくないので、今までは一切お金のことは学生に言わなかった。しかし、いくら私のように稼ぐ教員でも、校費として配分額が5万円ではさすがに、学生全員に、

「今年大学からこの研究室に配分される研究費は、僅か5万円となった。研究室で一年間どれくらい、薬品やガラス器具などの消耗品代がいるかというと、だいたい年間学生1人に30万円はかかるので、うちの研究室は11人いるから、300万円はいる。今、その300万円くらいは今までに私が稼いだ外部資金の残金があるので、この1年は何とかなる。私は今後も何とか頑張って学外から研究費を稼いでくるら、君たちも、出来るだけ無駄遣いはしてくれるなよ。」

と言った。すると、学生の中から、質問が出た。

「先生、僕たちは年間授業料を53万円払っています。学生が11人もいる研究室に総額で5万円じゃあ、1人当たり5千円にも満たない額ですよ。授業料53万円のうち、僕たちが使える研究費が1人5千円足らずということはないでしょう。1年生から3年生までだったら、主に授業を受けているので納得が行きますが、理系の研究室では4年生や院生は授業はほとんど受けずに、一日中、研究室で卒業研究や大学院の研究をしています。4年生以上は授業に授業料を支払っているのではなく、研究室で研究教育を受けるために授業料を払っているはずです。授業料53万円のうち半分が人件費に消えるとしても、残りの半分の26万円くらいは僕たちの研究費として使えるのではないですか?授業料の何パーセントくらい僕たちの研究費として使えるのですか?」

学生のこの質問は当然である。全くその通りである。学生やその保護者が払っている授業料の使い道に対して、説明責任がある。しかし、私には授業料の何パーセントが研究費として使えるのか、答えられなかった。文部科学省や大学本部からそのようなことを一度も聞いたことがなかったからだ。のちに文部科学省から出向してきている信州大学の財務部長に聞いてみたが、知らないとそっけない回答だった。独立行政法人化前の、今から4年ほど前には、博士課程を持つ講座では、確か教授1人に240万円、助教授に120万円、助手に40万円が、教官研究費いわゆる校費として配分されていた。従って1講座当たり400万円くらいあった。1講座当たり学生院生が25人くらいいて、年間研究費として800万円から1000万円くらいかかっていた。ほぼ半分の400万円を、国からのこの校費で賄い、残りの半分400万円を学外の会社などからの奨学寄付金や科研費で賄っていた。したがって、4〜5年くらい前の西暦2000年あたりまでは、必要研究費の50%を外部から稼げばよかった。その頃でも、国の費用は必要な研究費の半分しか来てなかったのだ。今年西暦2005年は、研究費の98%を外部から稼がなければならない。つまり国からは2%としか来ないということになった。今まで国立大学の先生はのほほんとしていても、国から研究費が来ていたというイメージを多くの国民が持つであろうが、そんなことは理科系のまともに研究をしている研究室の先生には当てはまらない。しかし、このイメージが独り歩きし、国立大学を外の冷たい風に遭わせて、自分で研究費を稼がせろということになったのが、独立行政法人化の趣旨なのだろう。しかし、国からは2%しか来ないというのは極端ではないのか。早晩つぶれてしまう研究室が出てきておかしくない状況である。独立行政法人化前、国立大学が99校もあるのは多すぎるから、独立行政法人化後60校くらいまで減らすのだというのが、国の本音だという噂である。国策という大きな流れに教員一人でいつまで耐えられるかとも思う。

 研究室の学生から、次の質問として「何故こんなに研究費が減ったのか」と聞かれた。私が聞いた範囲で、以下のように説明した。文部科学省は、今まで、理系の学部では実験などで余計にお金がかかるから、理系と文系の校費を別々の基準で計算をしていたが、ひどいことに4〜5年前から理系を文系と同じ算定基準に引き下げた。したがって、理系の研究室は急激な校費の減少が起こった。しかし信州大学では前学長が、それでは理系の研究室がつぶれてしまうからと、独自に、今まで建設費として来ていた予算を取り崩して、理系の研究室に配布していた。ところが、今度の学長は今年からそれをやめて、文部科学省の計算通りに配布することにしたという。この建設費であるが、国立大学は独立行政法人化されれば、安全上の問題は企業と同じく労働基準監督署の指導の範囲となり、理系の研究室は従来のままでだと、労働現場としては危険で安全基準違反となる。そのため基準に合うよう改修を早急にしないと、法令違反となり早晩実験が出来なくなる。そのために、建設費は建設費として使わざるを得ないということになった。建設費を取り崩して研究費として配ることはもう出来ないところまで、今年は来てしまった。したがって、急激な研究費の低下は、文部科学省の実態を無視した算定基準の変更、および、信州大学では前学長の「建設費取り崩し」のつけが今年一挙に回ってきたことに原因があるらしい。今、繊維学部内は、改修工事が大規模に行われている。これから数年間次々と建物を耐震構造にして安全基準に合うように改修していくという。そのため、大きな改修費がいるし、学科全部を空っぽにして中の研究設備全部を引越するための引越費用もばかにならない。噂によると、改修費は国から来ているが、引越費用は来ていないらしい。その引越費用が2500万円もかかるため、これを全部研究費を取り崩して当てているという。これで研究費がゼロに限りなく近くなっているのだという話である。このことを学生院生に話して、上の質問に答えたところ、

「先生、建物を建てて、信州大学が倒れたら、しゃれになりませんよ。改修工事やめられないんですか。」

 学生が言うのはもっともだと思う。建物だけが立派になっても、研究費がなくなり学生や院生が研究できなければ、何をしているのだということである。大学の基本は教育と研究である。理系で、研究費が枯渇して、研究室の研究教育が出来なくなったら、終りである。理系学部の存在の意味がない。理系は、研究室中心で、研究室で学生や院生が、研究指導を受けて初めて、理系の卒業生として使い物になっていくのだ。理系の研究室で、研究費がなくなって実験や論文の指導が受けられなくなったら、お終いである。よく教育と研究を別もののように言う人があるが、理系に限ってそれは、現場を知らない人の言う事である。理系の学生は研究室に入って、卒業研究や大学院の研究をしながら、担当教員から教育を受けるのだ。研究をしていないと理系では教育は出来ない。教育者と研究者は別物のように言う人がいるが、理系の大学院教育を受けた人ならわかってもらえると思うが、理系の大学の教員で研究をしていない人には教育は出来ないのだ。理系の英語で書かれた研究論文を読んだことがあるだろうか。このような研究論文を書けるように大学院生に教育指導できるのは、博士の学位を持ち自ら研究をしているからこそ実験遂行や論文作成の教育指導も出来るのだ。これが理系の教育である。理系では研究と教育は一つのもである。研究する教員と教育だけする教員とに分けてしまおう、あるいは研究だけする大学と教育だけする大学に分けてしまうという政策は、理系の学部に深刻な研究教育上の問題を今後残すであろう。理容師養成に本だけで教えて実技を教えないのに等しい。今の政策を見ていると、地方大学には教育だけを、旧制帝大のようなところだけで研究をすればよいというように、見えるが如何なものであろうか。地方の理系の学部が研究費がなくなって倒れてしまえば、その地方の産業に大きな影響が出てくると思う。教育だけをやる地方大学に研究費を渡す必要はないという考えをもし推し進めたら、上に述べたように理系の学部の研究室はつぶれてしまう。このことを、国民の多くの人に認識して欲しい。

 7月12日の学科の会議の後、教員や研究室の4年生や院生に大きな衝撃が走った。8月の初めに繊維学部に学長が来て、繊維学部の教員と懇談会を持つということになった。多くの教員が、懇談というより、この急激な研究費の低下の理由を聞きたいということになった。また、繊維学部には約400人の大学院生がいるが、わずか1週間で約200人の院生が参加する院生協議会が急遽出来上がり、その学長懇談会に出席して直接学長から理由を聞きたいということになった。院生協議会の代表が、学部長に面会してこの旨申し入れたが、出席は拒否された。しかし繊維学部長は、院生協議会からの公開質問状4項を預かり、責任をもって学長から答えてもらうことを約束した。しかしながら、当日肝心の財政問題に入ったところで、学長は繊維学部から教育学部へ行く時間だといって退席された。代わりに、財務部長を連れてきているので、財務部長を繊維学部に残していくから、この財務部長から、答えてもらうと言って会場をあとにした。

 財務部長に、繊維学部長が院生協議会からの公開質問状を手渡し、まずこれに答えてもらう形で後半の懇談会は始まった。そのあとは、繊維学部の先生方の個々の質問に答える形で行われた。しかし、この財務部長の答弁は、極めて要領を得ず、肝心な点は、「私が決めたのではない、その点は学長と理事に伝えます。」と言って逃げてしまう態度に終始した。約1時間の質問時間の最後に、今年4月に会社の重役を退職して、繊維学部の教授になった先生が、強烈な指摘をした。「会社では、財務部長といえば、会社の命運を決める重役の一人だ。なのに、貴方の答えは全く無責任だ。何故そこに座っていらっしゃるのか。」とパンチを浴びせた。いやぁ、この先生だから言えることである。心の中で拍手をした、「よく言ってくれた!」。この財務部長は、文部科学省からの出向者で三年程したら、また別の大学に移っていく。このように独立行政法人化しても、昔のまま、文部科学省のキャリアー組に支配を受けている。しかし、制度上は、独立行政法人化後は全ての決定は学長と理事が行っていることになっていることになっている。建前はそうでも、財政上の予算の方針や計算は、文部科学省の意向を受けて財務部長が予算案を作って、理事会に提出していることは皆知っている。出向者とは言え、独立行政法人信州大学の重役である。責任を追及されたら、私が決めたのではないという言い逃れは、信州大学がつぶれてもそんなことおれは知らないよ、つぶれても別の大学に変わるから痛くもかゆくもないと、言われているように、繊維学部の先生方には大変よそよそしくうつったのである。独立法人になったら、会社と同じように企業会計になった。しかし、文部科学省の支配はまだ受けており、旧態依然とした仕組みが残っている。財務部長の答弁は、官僚そのもので、痛みを共有する信州大学の一員とは思われなかった。

 この財務部長は、学長懇談会が始まったとき、学長も理事も、繊維学部の先生方も集まっているに、なかなか会場に来ない。それで、学長が、携帯電話で呼び出したら、まだそば屋でいるという。それで学長が、笑いながら、「皆さん、財務部長はまだそば屋でいるようですので、少し遅れて来ます。」と言った。繊維学部の先生方は、真剣に将来を心配して集まっているのに、本部の学長にも理事にも財務部長にも、危機感が全く感じられなかった。こんなので信州大学大丈夫なのだろうかと多くの先生方が思ったことだった。

 学長が退席された後半の学長懇談会では、多くの先生方から年間5万円の研究費ではやっていけない、つぶれてしまうとの、悲痛な声が上がった。また、院生協議会の公開質問状にも学生実験実習費が昨年の10分の1になるのは、授業料を払っているのにおかしいではないかとの指摘があった。それでその後、先の予算案が少し見直されて、学生実験実習費がほぼ前年並の額が確保されたので、私の所では、校費(=教員研究費+学生実験実習費など)が、27万円になった。学生院生への説明責任を果たすのを優先した結果である。しかしやはり教員研究費はほとんどゼロであり、今年の校費は数年前の120万円から比べれば100万円近くも減少しており、苦しいことに変わりはない。

 このような校費がずっと続くのだろうか?教員も院生協議会も大変不安である。このような校費が二三年続けば研究室倒産は遅かれ早かれ現実のものとなってくる。学長は、このような教員や院生の不安を解消するために、早く学長自身で、将来の財政ビジョンを語る必要がある。さもないと、大学院生が夏休みに全国の実家に帰り、郷里の弟や妹あるいは母校の高校の先生方に、「信州大学は、研究費がほとんどないから、あんなところに行ってもだめだ。」と噂が広がりかねない。受験生が集まらなくなるのが一番怖い。定員割れが三年続けば、その学科、学部、大学をスクラップにしてよいという法律があると聞いた。大学院生からも、「先生、今年は大学院入試の前にこんなに研究費がないなって知らなかったので、皆大学院を受験しましたが、来年もこんな研究費だったら、誰も受験しませんよ。皆よそに行ってしまいますよ。」と言われた。その通りである。私だって逃げ出したくなる。また、研究費がない外部から稼げない研究室は、秋口になって、卒業研究や大学院の研究の実験がたけなわになったとき、「先生、あの薬品や物品買ってくれないと、卒業研究が出来ません。早く買って下さい。」といわれても、「おお、そうだがなぁ、業者が持って来ないんだ。」となり、業者からも赤字で納入することは出来ないと言われ、現場の教員は大変な板挟みになりかねない。いわゆる信用不安というものが先に広がって、信州大学が倒れるかもしれない。大学というところは銀行と同じで、実際に金が無くなるよりも先に、信用不安が広がって倒産する可能性が大きい。私は、このことが心配である。学生や院生が、インターネットの「2チャンネル」や「信大チャンネル」に、もし現在の研究費激減の事実を書き込まれたら、一瞬のうちに全国に広がってしまう。学長や理事はこのようなインターネット時代の怖さを認識してもらいたいと思う。したがって、学長は教職員と学生全員に、早く「今年はこのような研究費になってしまったが、今後、以下のような財政再建策を講じるので、皆さんここ二三年だけ我慢してくれ。きっと良くなるから。」というような、財政ビジョンをアナウンスすべきであると思う。皆さんは如何であろうか。皆が逃げ出したいと思うような事態になったら倒産はすぐ起こってしまうであろう。

 以上が、独立行政法人化2年目の信州大学、今年2005年の状況である。事態は深刻であると思う。そこで、我が信州大学を愛する教職員および学生院生全員が、一致団結して財政問題に対処することが必要である。

 最後に、このような校費の急激な低下の本質的な原因が、文科省のホームページに平成17829日に発表された「国立大学法人の平成16事業年度財務諸表の概要(説明本文)」から、最近ようやくうかがい知ることが出来た。それは、国立大学法人は2兆8千億円もの負債を抱えており、債務償還金、つまり、借金の大きい国立大学ほど、教育研究費が大幅に削減されているらしいということがわかった。このことについては、2005920日にかかれた記事「信州大学の大借金を考える」をご覧頂きたい。



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