昭和46年大阪大学医学部不正入試事件

2018年1月8日 随筆
信州上田之住人和親

今回の阪大の入試問題出題ミス事件で、昔あった阪大医学部不正入学事件を思い出しました。これは出題ミスではありませんが、昭和46(1971)に発覚した大事件です。昔は入試問題を刑務所の中で印刷していました。それで、受刑者が入試問題をボールの中に詰めて、運動の時に塀の外に放り投げ、このボールを仲間が回収して、医学部受験生の親に高額で売った事件です。昭和43年から45年の3年間このような不正入試で、阪大医学部に10人、大阪市立大医学部に7(?)人が合格していました。私の記憶では、大阪箕面市教育委員会委員長の息子などがいました。教育委員会の委員長の父親がそんなことをするのかと驚きでした。不正入試で合格した学生はすべて除籍処分となり、彼らのために不合格になって涙をのんでいた人たちは、大阪大学に入学しました。私が覚えているのは、信州大学医学部の3年生になっていた人はそのまま、阪大医学部の3年生に転籍、東大を出て社会人だった人は阪大を不合格になった後は再受験をあきらめて会社勤めをしていましたが、東大を出ているので2年間の一般教養は免除され、3年生に編入されました。確かこのとき4人が阪大に編入し、阪大の学長がこの4人を招いたときの写真を新聞で見たのを覚えています。信大の人は学生服姿、東大出の人はスーツ姿で印象に残っています。数奇な運命をたどったあの4人は今どうしているでしょうか。ちなみに、この事件後、刑務所で入試問題を印刷するのを全面的にやめ、造幣局など国の機関で印刷するようになりました。



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