源氏物語の中の学者博士像今昔
信州上田之住人
太田和親
2011年1月15-16日随筆
源氏物語の中に、学者博士を揶揄した部分がある。
平安時代にも大学制度があり、その道の学識豊かな人を博士と認定し、大学の教授や助教とした。これらの制度は古く律令制度が整えられた藤原京や奈良の都の時代から既にあったのである。当時の大学の定員が四百人などと養老律令などに定められていた。平安時代になると教えられる科目も増え、文章や法律の専門家だけではなく、天文学や数学、医学、語学などの専門家も大学で育成されていた。源氏物語では、これらの専門を教える学者博士は見栄えのしない服を着ていても全く気にせず、学問のみに没頭する変な人達だというように書き表されている。最近、私の大学に大企業の専務取締役から転職して来られた老教授が全く同様な印象を大学の先生について語られたので、その時私は源氏物語のこの部分を興味深く思い出した。
この老教授はその企業の停年の六十三歳までずっと企業におられ、私どもの大学が六十五歳が停年なので、二年間だけ教授として赴任された。ある時、この老教授と酒席を共にする機会があった。この教授が大学に移られてからほぼ一年経った頃だったと思う。彼は大学の先生の印象を次のように語られた。「大学の先生は安物の背広を着ており、腰に汚い手ぬぐいをぶら下げている輩もいる。大学の先生は、全くさえない格好をしてパリッとしていない。」と自分の背広の両襟を両手でつかんで胸をそらして言った。その時私は非常に複雑な気持ちになった。確かに、大学の先生は自分の研究に没頭するあまり、服装に無頓着な人が多いのは事実だ。大企業に比べたら安月給だし、研究が好きだから、高い背広を買うより高い専門書を買う方に給料を回してしまう。ただ、この老教授は、二年間とはいえ少なくとも我々と同じ大学人であり、研究者仲間である。そんな身内から思いもかけないような言葉を聞いて私は非常に複雑な気持ちがした。同時に源氏物語で、紫式部も千年前に全く同じことを言っていたことを思い出していた。
きらびやかな服を着ていない学者は千年前も現代も揶揄の対象になるのだなあと思った。