美しい信州大学繊維学部キャンパスの私
信州上田之住人
太田 和親
2006年4月29日〜5月1日随筆
信州大学繊維学部のキャンパスは極めて美しく目を見張ります。こんなに美しいキャンパスはそうあるものではありません。全国の国立大学で私は一番だと誇りに思っています。
特に一番よい季節は、毎年、梅と桜が同時に咲く4月15日あたりからツツジが咲き誇るゴールデンウイークあたりです。信州の長く寒い冬が終わると一斉に花々が咲き誇ります。一番の絶景ポイントは図書館前の七本松から講堂を眺めたところです。ものすごく彩りが美しく一見の価値があります。薄紫に塗られた講堂の前に色濃い緑色の常緑樹が品よく剪定され、その緑の間にピンクのツツジの植え込みが可憐に咲き誇っています。本当に美しいです。私は繊維学部に赴任したころ、まだ若くてきれいだった妻をそこに立たせて写真を撮ったのを覚えています。
次に見どころの季節は、木々が一斉に色づく11月5日あたりから、初霜が降りその木々の葉っぱが一斉にして散ってしまう11月20日あたりまでの季節です。一斉に葉っぱが散るというと皆さん大げさに思うかもしれませんが、これは本当です。1994年の晩秋、その秋初めて朝の気温が零下となり大霜が降りました。ドイツ人のポスドクと私は農場の桑畑の中を白い息を吐きながら歩いて出勤していました。桑畑の葉っぱが、ザーザーと音を立てて雨が降るように落葉していました。音といい光景といい壮観でした。お昼には桑の木は丸裸でした。昨日までは桑の葉っぱは木々に充ち満ちていたのに、本当に2?3時間で散ってしまいました。それも音を立てて・・・。フランス語の詩に「音を立ててマロニエの葉が降る」という描写があって、留学した日本人学生がどうしても理解できなかったと、どこかに書いていたのを私は読んだことがあります。フランス革命の時、マロニエの木の葉を印につけて市民が出陣したそうですが、その朝マロニエの葉が音を立てて降ったのだそうです。私はこれだと思いました。1994年の桑畑の落葉は見事でしたが、音を立ててというのは確かに24年間私が上田に住んでいてこの時だけした。それでも例年桑の葉っぱや柿の木の葉っぱは2?3日で一斉に落葉してしまいます。私は南国讃岐の出身なので、このような光景を見ると、信州の冬は駆け足でやって来るという感慨を持ちます。さて、その時期に紅葉に染まった繊維学部キャンパスの絶景ポイントを、皆さんにそっと教えましょう。誰も知らないところですが、私の好きな場所です。3年前に見つけて、毎年11月5日から11月15日くらいの期間、お昼休みにそこに一人で行って眺めます。ものすごく美しく、ため息が出ます。皆さんどこだと思いますか・・・。そこは弓道場の南脇です。公用車の車庫と弓道場の的場の間の細い空間から、弓道場の南脇に入り込みます。すると、車庫の建物の裏手に出ます。車庫の裏手のすぐ脇にあるむろがある桜の木の横に立って、講堂の裏手方向を眺めてみて下さい。色とりどりに紅葉した木々の間から、堂々として由緒ある講堂と、遠くに太郎山とが眺められます。空が真っ青にすんだ秋晴れの日が最高です。真っ青な背景の中に、講堂と図書館の間にある木々の紅葉が見え見事です。私がこの繊維学部キャンパスの中で最も美しいと思う場所と期間です。ほとんど誰も行かないところなので多分、繊維学部の教職員の方々も皆さん知らない場所だと思います。
ここに来たついでに、弓道場の南脇から塀沿いに旧千曲会館の裏まで歩いてみて下さい。このあたりの風景は、繊維学部が創設された明治末から大正昭和初期の面影が残っていて、ロマンを感じます。塀沿いに歩くと竹林がつづいて生えています。この竹はなんと高価な黒竹です。黒竹が終わると、旧千曲会館の築山に突き当たります。築山を迂回して、旧千曲会館の庭に入ります。会館の縁側を背にして築山を見ると、ここが美しい日本庭園になっていたことが判ります。築山の手前には池があり、ここにちゃんと水を張って、錦鯉でも泳いでいると最高です。ここはモミジの立派な木があって、秋には紅葉しそれが誠に見事に池の上を覆っています。また築山の右下あたりに何か石碑があるので読んでみます。何と、開学10周年の記念碑でした。2006年現在開学95年ですので85年前に同窓生が建てたものです。表書きは「御真影奉安殿」となっています。奉安殿というのは戦後全てGHQの指令で潰されたそうですが、全国の小学校から大学に至るまで設置されていた天皇陛下のお写真を納める場所と聞いています。もちろんもう奉安殿はすでにありませんが、この石碑だけは「開学10周年の記念碑」として残っています。歴史的に貴重なものと考えられます。政治的な考え方から一部に批判があるかも知れませんが、本校の同窓生が開学10周年を祝うため一人一人思いを込めて寄付した、その寄付により建立したという意味で大変貴重なものです。なくしてはいけないと思います。さて、黒竹、日本庭園、池、見事なモミジなどの植木、そして、旧千曲会館、これらは全て一体となって、本校の貴重な原風景のように思います。100周年に向けて、ぜひ整備して次の世代に残していきたいものだと思います。これらの黒竹や植木を一度切ってしまったり旧千曲会館を壊してしまうと、もう取り返しのつかないことになります。一瞬のうちに歴史が消えてしまいます。高齢のOBが来学の折、戦前の面影が残っているところを見たいと、若い先生に尋ねられたことがあったと聞きました。ぜひこの辺りを見せてあげて下さい。
しかし、旧千曲会館の最近の荒れようには、私は心を痛めています。窓ガラスが最近たくさん割られてそのままになっています。雨風はおろか鳥や猫までが入ってしまい、ますます荒れてしまうと思います。雨樋が2年前の雪で壊れ、雨が板壁に直接当たっています。放置すれば板壁が腐ってしまうと思います。その昔、おそらく15年前あたりまでは、旧千曲会館の入り口には散髪屋が営業していましたし、25年前あたりまでは、2階でなんとかという技術職員の方が間借りして住んでいたそうです。人が住まなくなってしまうと家というのは痛みが激しくなります。お金がないというけれど、なんとかアイデアはないでしょうか。窓ガラスや雨樋くらい直せるお金を得る方法はないでしょうか。私は次のようなアイデアを持っていますが皆さん如何でしょうか。旧丸子町に、昔生糸で大変隆盛を誇った「依田社」というのがありました。依田社は学校の先生をしていた下村亀三郎という方が転身して作った会社です。依田社は大正2年当時出荷量全国4位となり隆盛を極めました。貿易の主要な相手国であったアメリカの一行を依田社に呼んだとき、接待する立派な迎賓館を大正7年に、現在の丸子公園内に作りました。「依水館」といいます。それから幾星霜を経て絹糸が衰退し依田社もなくなり「依水館」も荒れ放題となっていましたが、それを心配した旧丸子町では、国の登録有形文化財として認めてもらい、そのお金で最近修理し一般公開できるようにしました。私もそれで昨年見学に行きました。非常に驚いたことに、建物の構造や庭が旧千曲会館とそっくりなのです。庭には黒竹が植えられ、池がある日本庭園になっています。私はここが登録有形文化財になるのだったら、旧千曲会館もなるにちがいない。上田のフィルムコミッションにも働きかけたらいいのではないかと考えました。上田は全国一映画のロケが多いところです。フィルムコミッションはその斡旋や世話をする団体です。よく信州大学繊維学部の講堂がロケの場所に選ばれています。昨年は、韓国映画のロケにも講堂と旧千曲会館が使われました。大正時代や昭和初期の雰囲気を残した建物は、全国的に空襲で焼けてしまってほとんど残っていないそうです。それでほとんど空襲のなかった上田がロケ地として選ばれるのだそうです。私は、旧千曲会館を荒廃から救う方法は、国の登録有形文化財に指定してもらい、そのお金で維持管理し、ロケの舞台として収入を得るというアイデアです。また普段は、旧千曲会館の2階は製糸の器具や生糸の歴史などを展示する博物館として利用してはどうでしょうか。入場料100円。そして上田市の観光ウオーキングコースに組み入れてもらうのです。皆さん如何でしょうか。「旧千曲会館よ、よみがえれ!」と私はひとり、この美しい日本庭園を見ながらいつも思うのです。
私は本校の出身ではありませんが、本校に在職して24年間、こんなに美しい信州大学繊維学部のキャンパスを本当に誇りに思っています。